(サバンナの地域猫)
いま6月13日日曜日、午後1時50分頃ですが、もうすでに気温は25度を超えています。きのう忘れました。観天望気
12日正午の観天望気;天気:晴れ。雲量:5割、気温:24.6度、湿度:58%、風速:4m/s、不快指数:71 でした。
きょう正午の観天望気;天気:曇り、雲量:9割以上、気温:25.7度、湿度:66%、風速:3m/s、不快指数:73、となっています。
不快指数は6日からずーと70を超えていますが、個人的にはそんなに深いとは感じません。感覚が鈍くなっているのかもしれません。妻さんは、この頃はしょっちゅう暑い暑いと言って汗をぬぐっていますが、私は汗はかいていません。さほど暑くないからです。
でも私の感覚を一般的なものと捉えてはいけないですね。老人の鈍くなった感覚としておかないといけないでしょう。
今日の朝日新聞の投書欄に載っていました。22歳の大学院生の「文化や芸術を軽視しないで」という投稿です。要約です。
『 感染防止策をとればリスクが決して高いとは思えない文化芸術系の展示会や発表会もできない。他方で、体育会の活動は行われ、各大会にも出場している。応援をあおるような大学からのメールすら届く。
根拠なく、文化や芸術だけに厳しい制約を強いることは疑問だし、異常だと思う。異常なことは異常だと思う感覚を深く胸に刻んでおきたい。 』
もっともな意見です。もう現在はすべてがなし崩し的に東京五輪パラリンピックへとまっしぐらです。こんな時期になぜ東京オリパラかという肝心なことを国民に説明することもなしにガースーはG7へ出かけ、ええカッコしようとしています。
先週ですか、こういうことを言っていました。『私自身は主催者ではありません。』『私自身はわが国の国民の安心安全を守る使命があります。』
国民の安心安全を守るという的を外した言い逃れは何回繰り返されたことでしょうか。
コロナのワクチン接種が全国的に実施されるようになってきてからは、もう大丈夫、五輪はやれるという空気が醸し出されてきましたね。NHKを先頭にマスコミをあげて突き進んでいる感じです。
きのう土曜日は毎回読書特集が組まれます。私はこれが楽しみの一つですね。そのなかに「オリンピックという名の虚構 政府・教育・ジェンダーの視点から」(ヘレン・ジェファーソン・レンスキー著 晃洋書房)という本や「オリンピック 反対する側の論理 東京・パリ・ロスをつなぐ世界の反対運動」(ジュールズ・ボイコフ著 作品社)という本を紹介していました。
(若い女性が一人座っていました。周りには散らかしたごみが・・・。彼女のせいかどうかは分かりません。)
(私の拙いブログとは直接は関係ないですが、世の中には本当にいろんな本が出版されているのですね。こういう形でなければ、とてもじゃないが場末の私には知る由もありません。というか、普通の個人には到底知られない本はいっぱいあるということですね。)
評者は作家の星野智幸さんです。
”” 第二次大戦前の不穏な1930年代、IOCはファシズムと親和し、ベルリン五輪を開催し、東京五輪を決めた(結局、中止になるが)。戦後も、歴代の有力な会長は元ファシスト支持者たちで、強権統治への志向を隠さなかった。 ””
”” スポーツの清廉なイメージで不都合を覆い隠す「スポーツウオッシング」こそ、各国の政治が利用したがる五輪の効果だ。 ””
(何人で飲み食いしたのでしょうか。呆れてしまいます。恥ずかしいし情けないです。)
”” 平和の祭典だとか平等の実現だとか掲げているが、あくまでも巨額の利益という目的の二の次であることは、今、パンデミックの最中に強行しようとするIOCの態度で明白だろう。 ””
”” 主催側は「コロナで分断された世界を一つにする」と説明するが、嫌だという住民を無視して開催するという決定ほど世界を分断する行為はない。 ””