鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

ファンクラブから届きました

2006-07-14 21:38:05 | その他河川

 今日村田満ファンクラブからお知らせが届きました。

  まあ、毎年のことですが、今年も福島県南郷村の伊南川で「第12回闘将村田軍団・関東大会」が開催されるというお知らせです。

 8月26日(土)・27日(日)の両日です。今年も参加は無理なようです。定年を迎えたら是非とも参加したいと思っています。

  内容はすごいのです。26日は、午前8時から午後4時まで3試合行い、翌日は2試合行い、午後1時30分より決勝戦を行います。

  1位は、東レカップと賞金3万円、2位は2万円、3位1万円・・・  

 闘将村田軍団和歌山大会は、9月17日・18日の予定だそうです。

 

  今日の仙台は今夏最高の猛暑となりました。33度を超えたというのです。

 昨日が雨でなく、晴れていてくれれば、休んで川に入ったのに・・・雨による増水と濁りでとても釣りにはなりませんでした。

 明日あたり広瀬川もいい感じなのですが、残念ながら、明日もあさっても仕事で休めません。指をくわえて見ていなければなりません。

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「鮎釣り烈士伝」

2006-07-13 22:52:56 | お知らせ

 今日久し振りに「JUNKUDO書店」に行ってきました。

 神戸が本店のこの本屋は、仙台に2店あります。しかも仙台駅のすぐ近くに。どちらもお客さんは多いようです。そのお陰で地元の本屋は数店も倒産していますが。

 この本屋ばかりではなく、紀伊国屋書店や丸善が大型店として進出してきているもので、地元勢はとても太刀打ちできなかったようです。淋しい限りですが、大型書店は便利です、やはり。  

 「つり人8月号」が発売されていないか見に行ったのですが、つり人社発行の「鮎釣り烈士伝」が目に入りました。これはYodakinboさんのブログで7月に発売されるので、是非とも購入するようにとの記事を目にしていた本でした。

 早速購入しました。定価1800円プラス消費税で1890円です。 総ページ319Pの大きな厚い本です。著者は鈴木康友氏。

  目次を紹介すると、最初の烈士は「村田 満」《友釣り界の帝王・不撓不屈の精神で、今なお時代をリードする巨人》で、以下「室田 正」「西角嘉昭」「伊藤 稔」と続き、最後は今を代表するソリッド穂先の名人「伊藤正弘」まで、合計19人の鮎釣り名人の烈士伝となっています。他に「外伝」もあります。

 希望を言えば、「永井 茂」名人や「大西 満」名人についても書いてくれれば申し分なかったといえるのでは。

  まだほんの3人前後しか読んでいませんが、ためになるし、とっても面白い本です。鮎つりの歴史がそのまま分かるようになっています。現在の鮎釣りの裏にはこういう名人たちのひたむきさ、研究心、探究心、努力、発想の転換等があったわけです。

  「創意工夫」、これこそがマンネリ化を防ぎ、進歩に向かわせてくれる唯一の必要なことかもしれません。私にとっては呆け予防にもなりますし。

  鮎釣り師にとっては必読な本といえるような素晴らしい本です。


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真夏日になりました!!!

2006-07-12 22:51:47 | お知らせ

 暑い!嬉しい!熱い!嬉しい!アツイ!ウレシイ!

  何と今日の仙台は最高気温が32度を超えました。

 30度を超えたのは、6月の28日(31.9度)と29日(30.2度)以来です。

 7月に入ってからの最高気温は、27.5度・20.7度・27.7度・22.4度・18.8度・25.0度・25.6度・20.7度・19.8度・21.6度・26.3度、そして今日の32.6度となります。

 こうやってみると、かなりの乱高下があるのが分かります。12日間の間で、最高気温は18.8度から32.6度まで13.8度の差があります。

 3日間の山形市との比較をみると、9日は仙台市19.8度ー山形市27.5度、10日は21.6度ー27.1度、11日は26.3度ー30.1度となります。ずいぶん差があります。愕然とするくらい。  

 仙台地方の日照時間は、平年の42%という状況です。

  これからは暑い日が続き、早く梅雨が明けてくれればありがたいと思う今日この頃です。

 

  明日は、ここだけの話しですが、天気ならば休んで川に入ろうかと思っています。


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青葉カワセミ会員の皆様へ

2006-07-11 21:39:40 | お知らせ

 今日入った情報です。

 江合川は冷水病が発生している。  

 白石川は、漁協内部の問題があって(組合幹部の使い込み?)、今年の放流量はないか、あってもほんの少しだったとか。放流用の鮎を購入する資源がなくなったとか。

 釣具店に問い合わせると、「下流部には天然ものがいるから、下流で竿を出したらどうか」といわれるとかいうことです。  

 

 いい情報としては、秋田県の皆瀬川は釣れているということです。

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戦争が起きませんように!

2006-07-11 21:19:09 | 思いつくまま

 おとといの深夜から昨日の早朝にかけて、仙台市もアメリカ空軍のB29による空襲を受けました。市街地の大半が焼け野原になってしまいましたが、空襲による死者は1300人近く。

 昨日10日は仙台市主催の戦没者慰霊祭が厳かに執り行われました。

  昔、いつも過去のことばかり書いていますが、20年くらい昔、親父が元気だった頃、仙台空襲のときの家族の状況を聞いたことがあります。細部は忘れてしまいましたが。

 戦争中は、街の中心近くに住んでいたこともあり、焼夷弾で付近は焼き払われました。

 私は、当然戦後生まれで、その時は家族の一員ではありませんでした。

 当時は父母と父の姉、そして二人の娘(私の姉)の5人家族でした。

 空襲のとき、何故か母は一人で逃げたようです。怖かったのでしょう。その後も、父はその件では母を怒っていました。そういえば折に触れて、思い出したように言っていたような気がします、この時期に。

  それで父は二人の小さな娘を抱えて逃げなければならなくなり、南の方に逃げ、最終的には広瀬川に避難したそうですが、途中、子どもが水を欲しがった?ためか、近くの裁判所に入って水を飲ませたと言っていました。

  今にも焼け死にそうだったとか言うことはなかったようです。  以上です。

 もっといろいろあったような気がしますが、思い出せません。

  子どもの頃は、戦争中の遺跡とでもいうべきなのでしょうか、防空壕が広瀬川の崖に一杯掘られていました。中に入れる防空壕には、入って遊んだりした記憶があります。怖かったけど、何かしらひきつけられるものがありました。

 防空壕には、また、浮浪者が住んでいる防空壕もありました。興味本位で中をのぞいたり、からかったりしたこともありました。

  戦争中の遺品?としては、機関砲の薬莢が1個ありました。丁度大きさは線香立てにそっくりでした。実際にずーと線香立てとして使っていました。真鍮製か、重くてがっしりしていました。今でもあります。何故家にあるのかはわかりません。

  戦後、引越しをして現在地、広瀬川に近いところに住むようになったのですが、私にも記憶があるのですが、自宅向かいの空き地を畑にしていたとき、土の中からなと「ごぼう剣」が出てきたことがあります。白兵戦のときに歩兵銃に装着する剣です。切るよりは刺す剣。これはその後どこかに行ってしまいました。

 ここは昔から、江戸時代から伊達藩の練兵場でしたし、第2師団の司令部の近くでしたので、兵隊は一杯いて、敗戦のごたごたで兵器なんかも打ち捨てられたりしたものもあったことでしょう。

 

 そして平成時代になりましたが、鮎釣りをしていて、何と、言っていいものかどうか迷いますが、鉄砲を見つけたこともあります。

 大きさ、長さからいって歩兵用の三八式歩兵銃と思われます。もちろんすっかりさび付いていて、銃床等の木製部分はありませんし、撃鉄等も動きません。重いです。

 敗戦のドサクサで河原に、川の中に捨て去ったのでしょうか?  

 しかも、1丁ではありません、数年かかって、1丁ずつ見つかって、計3丁もみつかりました。

 うち2丁は三八式歩兵銃と思いますが、もう1丁はちょっと銃身が短い鉄砲です。騎兵用の銃なのでしょうか?

  仙台空襲の話しから、脱線してしまいました。

 何はともあれ、空襲でなくなった方には心からご冥福をお祈り申し上げます。 合掌。


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昨日の続きですが・・・。

2006-07-10 21:33:29 | 小国川

 15分残しての早上がり。車に戻ってさっさと着替えをする。

 10時を過ぎて、三々五々選手たちが戻ってくる。話し声が、嫌でも聞こえてくる。予選突破ラインは13匹だとか、いや14匹だとか。

 釣友からもどうだった?と聞かれるが、「全く駄目!」いくらかけた?との問いには、「聞かないで!」と返事しなければならない、惨めさ。屈辱。

  決勝戦は見ないことにして、帰宅しようかと思ったが、さすがにそれではあまりに情けない!まだ時間はある。折角ここまで来たのだから、基本に返って、泳がせつりの練習をしようかと、殊勝にも考え、実行することにした。

 小国川では今後も大会が予定されているし、時間を有効に使わない手はない、もったいない。

 そこで、顔なじみのS名人宅に寄り、おとり鮎を購入。

 (S名人は、Sビール会社を定年前に退職して、仙台から山形県舟形町に奥さんたちと移住して、漁協の組合員となって、釣りの振興、小国川の振興のために日夜努力している素晴らしい人です。)事情を説明したら、何と1000円で5匹も養殖オトリをくれました。ありがたいことです。

  【なお、Sさんからも言われたことですが、おとり鮎は川に放流しないで持ち帰って食べて欲しいとのことです。開きにすれば十分おいしいとか。 また、釣った鮎で小さいものでも、再放流しないで同じく持ち帰って欲しいとのことです。 併せて、もうご存知かとは思いますが、他の川のオトリの持ちよりは厳禁ですので、こちらもよろしくお願いします。 この場をお借りして、オトリのお礼もかねて、細々ながらこのブログでも広報させていただきました。】

 オトリは手に入れた、どこで泳がせの練習をするか?

 さっきがまかつの全国大会の時に友達となった新庄市在住のKさんが言っていた、下流の身障者用トイレがあるところに入ることにする。

 ここには低い堰堤(崩れた堰堤?)があり、荒瀬の上流部はカガミとなっている。

 早速、川に入り、川の中央より右岸寄りから右岸を攻めてみることにする。

 11時5分、第一投?目。

 ここにもあゆはいる、一杯いる。跳ねている。今にもすぐにかかりそうではあるが、またオトリは「劣り」にはならずに、よく泳いでくれるのだが、かからない。

 悔しいことに、目印のあたりでいい型の鮎がジャンプする!!

 じっと我慢し、集中して泳がせる。しかし、かからない。おかしい??今日は徹底的にだめなのか・・・  

 今日だけではなく、もしかして今後も駄目だったりして・・・。不吉な考えも頭をよぎったり・・・。

 おとりを代えて、一番形のいい大きい元気なおとりにする。そしたら、11時35分、待望のあたりが、目印に出る!!ガツーんという当りではない。ようやくかかった!!今日はじめての鮎、小国川の「松原鮎」として昔から重宝がられてきた鮎が。

 しかし、小さい。13cm位か。オトリよりもかなり小さい。

 でも待望の1匹。さっそくおとりを代えてよし、いよいよこれからだと意気込んだものの、このおとりはかかりどころが悪かったのか、あまり潜ってくれないし、すぐに浮きたがる(本人(魚)はそんな気はないのでしょうが)。

 また養殖おとりに代えて泳がすも、かからず。12時20分に納竿する。

 諦めた。今日は何をやっても上手く行かない日なのだと。

 よく冷えたざるそばを食べて帰途に着いたという訳でした。

  山形県は風は強かったが、晴れ。しかし奥羽山脈を越えると天気は曇りから霧雨へ。仙台は小雨という有様。

 山形から持ち帰った6匹の鮎は、別の入れ物に移し変えて、広瀬川に生けておきました。(こういうことはいいことなのでしょうか?)明日できるのであれば、川に入るつもりで。

 広瀬川は解禁日よりも水量は豊富になり、濁りも入っていました。予報では明日(10日)も雨で本降りというから無理かもしれないと思いながら。

 

 帰宅して、荷物を整理して、缶ビールを飲みながら新聞を読みました。前にも1回朝日歌壇の歌を紹介しましたが、馬場あき子選の短歌の中に「釣れてよし釣れなくてもよし寧日を寡黙の浮子と対話楽しむ」(銚子市・小山年男)という短歌がありました。選評では「釣りの楽しみ方を少しはずして、精神の養いにしているのが独特」と。

 皮肉なんでしょうか?!でもこういう心境で純粋に鮎釣りを楽しむということが必要なのでしょう。一杯釣ろう、人より釣ろう、勝とう、とか思うようでは駄目、釣れても釣れなくても、釣り自体を楽しむ!!

 風は強かったが、快晴のもとで竿を出せたということだけでもよかった、ありがたいと感謝すべきだったのでしょうか。

 今日の一日は試練の一日、釣りの極意、目指すべきものを教えてもらったのかも。

 

  今日10日の仙台はほぼ一日中、雨降りでした。梅雨そのものです。


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悪夢!!コメント無用!!

2006-07-09 21:23:59 | 小国川

 昨日は10時過ぎに寝て、今日は2時15分起床。

 準備して、早めに2時39分自宅出発。

 外は雨、といっても霧雨。夜の雨は大嫌いです。運転したくないです。

 R48号線。関山トンネルを越えると、案の定、山形は晴れ。天晴れです。道路が乾いている。空も心なしか明るい。奥羽山脈で本当に天気が変わります。夏は嬉しいことに宮城県は雨や曇りでも山形県は晴れということが多い。

  気がつきましたが、3時40分頃にはうっすらと空が白くなり始めるのですね。地球の朝は早いものです。

 小国川でのシマノジャパンカップ鮎釣り選手権南東北大会。受付は5時からというのに、4時20分頃には到着。

 小国川、なんということか、渇水、かなりの渇水。

 話を聞くと、鮎は一杯いるが、釣れないとのこと。

 川を見ると、鮎は跳ねている。小さい。うわさどおり天然ものが一杯いる。これは厳しい釣りとなると覚悟する。  

 そうこうするうちに、懐かしい面々が三々五々やってくる。あいさつし、お互い元気にやっているなと思うと嬉しくなる。今日がはじめての小国川というのは私くらい。他の釣友は昨日も竿を出している。

  5時が過ぎて、受付や抽選が開始。例によって封筒の束から一つを取り出す方式。No,137。奇数。奇数はAブロックで大会本部より上流域とのこと。上流には経壇原があり、いいポイントのところがあるが、この番号では上流に行っても入れないだろうなと弱気になってしまう。  

 今日の大会参加者は200名弱。A・Bブロックに分かれて若い番号の人からオトリを2匹受け取って、思い思いの場所に歩いて、元気な人は小走りに向かう。

  私は、楽をしようと考え、かつ誰も竿を出しそうもない、本部すぐ近くの広いカガミ状の右岸よりのどチャラを泳がせることにする。一か八かの賭けに打って出たわけ。

 鮎は小さいが一杯いる。ナイロンで泳がせれば、交通事故も含めて何とかかけることができるのではないかと甘い考え、自分勝手な考えを実行してしまいました。  

 試合時間は、7時から10時の3時間。水深15から20cmのどチャラに陣取り、ナイロン0.175号の水中糸で勝負することにしました。

 ハリは6号くらいの3本イカリ。竿はシマノの「輝石」H2.75・ソリッド穂先(芯竿の半分のみ)使用。

  最初は縦横無尽に泳ぎましたが、いくら泳いでもかからない。おとりは弱ってくるし、泳がなくなってくる。どチャラで泳がなかったらかかるわけがない。もともと追い気が全くない群れ鮎、ちび鮎ばかりだし。

 焦ってくる。間違ったかと後悔の気持ちも出てくる。しかし、周りを見渡せば、もう入るポイントはない。どこも釣り人で一杯。動くに動けない。焦る・・・。

 周りの人はかかり始めたよう、水深がそこそこあるトロ、瀬でも水量があるところがいいのか。とはいっても、入れそうもないし・・・。

 近くのヤナのそばを通って、少し下流に動き、竿1本分空いているところに何とか入ることができた。既に40分以上経っている。自分の前後の人が鮎をかけて取り込むのが、嫌でも目に入る。悔しい、何とかしたい、なんとか1匹、天然ものを1匹かけたい!!1匹かかれば、何とか循環できるのではないか、そう念じてあまり泳がなくなったおとりを操作するが、あたりはない!!前後の人にはある!!

 天気は快晴。水温も冷たくはない。昨日は猛暑みたいだったというし。しかし、いやな風がでてきた。西風。山の方から吹いてくる、結構強い風。踏んだり蹴ったり。 

 オトリを瀬の中にいれて、何とかだましながら鮎を掛けようとするのだが、かからない。

 他の釣り人も少しずつ移動したりする人が出てきたりして、移動する人はたいてい釣れていない、釣れていないからやむを得ず移動するのに、それを知っているのに、こちらとしてはそうではあってもその人の後に入らなければならない。この悪循環。

 友釣りは循環の釣りなのに、オトリが代わらないばかりか、つれない場所つれない場所に移動せざるを得ないという悪循環、二重の悪循環のとりこになってしまっている。

 時間はどんどん経っていく。最早絶望的。やけになって、時間前に上がろうかと思う。諦めが肝心。昨日精一杯努力したいようなことを言っておきながら、時間前にギブアップか?!

 おとりの2匹のみ、これを審査員に見せるのはしょうがないとしても、他の選手たちには見せたくない。釣果0の人はほとんどいないだろう。そんな格好悪いことはしたくない!!

 葛藤しながら、竿操作をしても鮎は掛かりません。竿先よりも如何にして止めるか、どうしたら少しでも恥を少なくできるかそんなことを考えているのでは、もうどうしようもありません。

 とうとう決心しました、15分前には納竿しようと。何という惨め!!でも、これが現実、現実を受け止めないといけない。恥を恥として受け入れる。

 検量しないで、引き上げようかとも考えたけど、そこまではしませんでした。きちんと「審査カード」の釣果欄に2匹と記入してもらおう、と。

 

 ああ、何という大会だったのでしょうか??過去の大会でも釣果0ということはありましたが、その時は増水・濁り等でかなりの人も釣果0でした。

 でも今回は、そうではなく、単なる渇水、釣った人は一番の人が、何と21匹です。この差は何だったのでしょうか?「場所」が一番でしょうが、その「場所の確保」にどれだけ努力したか、苦労したかということの差でしょうか。  

 

 長くなりました。続編?は明日に。

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今日の生まれの人で

2006-07-08 21:29:07 | お知らせ

 今日7月8日生まれの人の中に、何とあの新撰(選)組の「沖田総司」がいました。1842年生まれです。

  NHKの大河ドラマで香取慎吾が近藤勇を演じていましたが、私が今日思い出しながら書こうとしているのは、40年以上も前になります。

 司馬遼太郎原作の「燃えよ 剣」のTVドラマ化されたものです。

 栗塚 旭(懐かしい!!今、どうしているのやら?)が土方歳三を演じ、沖田総司役は、島田順司でした。二人とも役にぴったりで、はまるということはこういうことかというくらいはまっていた感じで、そのときの印象がとっても新鮮かつ強烈で、一気に新撰組が好きになってしまいました。

  覚えている人はいますか?

 この頃は島田順司は「はぐれ刑事純情派」で冴えない課長役をやっていましたが、当時は颯爽としていて、それでいてひょうきんさも兼ね備え、白刃をひらめかせるときとそうでないときのギャップが大きく、子ども心を失わない永遠の青年という役がぴったりでした。

  次第次第に病魔に冒されていく様も様になっていたようだし、病床から、不吉だからということで、愛刀「菊一文字」を黒猫を相手に振り回そうとして結核で死んでいく・・・。

  そんな訳で、私にとっての沖田総司というと、どうしても島田順司の若かりし頃の顔が浮かび、ダブって見えてしまいます。

 

 それにしても、新人物往来社刊の新撰組関係の本の多かったこと!!沖田総司ファンも一杯いて、本も一杯出版されたものですが・・・。

 

  明日は、今夏初めての鮎釣り大会に出てきます。ノー・リサーチです。しかも今夏2回目の鮎釣りとなります。なんと無謀な!!!といえますが、こればかりは抽選の運不運、入川場所の当たりはずれ等があり、やってみなければわかりません!!!それに一縷の微かな望みをかけてみようかなと思っています。

 肝心なのは、最後まで決して諦めないことです。

 

 何故か、「がんばる」マークがトップにきてました。最後に入れようとしたのに。

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放流河川での鮎釣り

2006-07-07 22:23:53 | お知らせ

 「釣りビジョン」の「鮎2006」、小倉均の上桂川での鮎の釣り方です。

  結論のみ;

1 鮎が溜まっているタンク(緑色のトロ場、淵)を見つける。

2 他の釣り人の動きや釣れた場所のチェック

3 追星のしっかりした鮎を釣った場所を覚えてお   く

4 急瀬なら、流芯ははずす。

5 柳の木がかぶさっているポイントも忘れずに竿を出す

6 カガミにあたるポイントは、出食み・夕立?に

7 タンクとタンクの間の瀬は、絶対にはずせないポイント

8 雨のときは、チャラ瀬やカガミのところ

 最後に、まず1匹を掛けるためには瀬ではなく、瀬の上流、カガミのところから。

 まずここでオトリが元気なうちに泳がせて1匹をかけるべきということ。

 オトリが弱ってきた場合には、そのときこそ瀬に入れて、何とかごまかして鮎をかけるようにすべきということ。

 

  今日は久し振りの夏日、日差しが眩しい!!このままいい天気が続いてくれればいいのですが、現実はそうはいきません。

 あす、あさっては曇り。

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釣りビジョン

2006-07-06 23:26:19 | お知らせ

 今日午後1時からの「釣りビジョン」での「鮎2006」の放送を録画したので、帰りが遅くご飯後10時から見ようかなと楽しみにしていたのですが、その時間は妻が録画を予約しているということで見られませんでした。残念!!

  「鮎2006」としては、高松重春、橋祐次についで3人目

 「小倉均」の放流河川での数釣りという内容の番組だったようなのですが。

 楽しみは明日にとっておきます。

  またまた古い話で恐縮ですが、6年位前かな、報知オーナーカップの全国大会が岐阜県の飛騨川(地元では益田川)で開催されたとき、泊まった民宿の中に、小倉兄弟がいました。

 彼らは仲間で来ていたのですが(私も釣り仲間と二人で)、よく喋り、よく食べ、よく飲んでいたと記憶しています。私から見ると体つきも大きくて、がっちりしていたように思います。

 兄弟のどちらかと同じグループになって、闘ったのですが、彼は勝ち、私は負けました。

 前にも書いたかもしれませんが、数はそこそこ釣れたのですが、ハヤが混じっていたのです、しかも2匹以上も。

 このときに村田満も同じグループでした。これは前に書いたと思います。

 

  気分転換もかねて、テンプレートを変更しました。


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ダイワから届きました。

2006-07-05 22:50:53 | 小国川

 外は本降り。前線が北上するとか。明日も雨のようで、これでは当分釣りになりません。残念です。

  今日ダイワから大会参加資格証等一式が送られてきました。

 その中に、試供品としてフロロカーボンの水中糸、「タフロン鮎速攻」0.15号が12メートル分送られてきました。

 実は、「タフロン鮎速攻」は、岡野釣具店に注文しておりまして、0.125号と0.15号が手元にあります。今年はこの糸をチャラ瀬やトロ場で使ってみようと思っています。

 折角送られてきましたので、夜、0.15号の水中糸の仕掛けつくりをしました。皆さんは、0.15号くらいですと、付け糸をつけているのかどうか分かりませんが、私はつけています。つけないのは、2.0号以上の場合だけです。

 今晩も、送られてきた0.15号に下の付け糸は2.0号、上の付け糸は2.5号にしました。

  ダイワから送られてきた商品というと、3年くらい前か、メタル糸が送られてきました。Mステージの0.3号だったか。喜び勇んで、上下にナイロン糸を編みつけていざ!試合のときに使おうと思っていましたが、肝心の時に、糸がベストのファスナーのところに引っかかってしまい、何のことはない!1回も使うことなくメタル糸は切れてしまいました。そういう苦い思い出があります。

 まあ、それはそれとして、今回は大丈夫だろうと思うことにしました。でも糸はダイワで直接作っているのでしょうか?委託生産とかではないのでしょうか?何にしても丈夫な素晴らしい糸であってくれれば文句はないのですが。

  今年のダイワの南東北大会のエントリーナンバーは10613111です。 試合は7月25日、山形県小国川です。

 考えるまでもなく、他の地方の大会は全て終了しているのですね。北東北が7月27日(岩手県雫石川)というだけです。

 早いところは、何と、なんと6月7日の静岡県興津川、栃木県那珂川の6月13日、鳥取県日野川が6月16日、宮崎県一ツ瀬川が6月18日と続きます。続きました。(いずれも予定)

 7月30日かがまかつの大会が予定されていますが、これは来年分の、来年の東日本ブロック大会と全国大会に向けた地区大会です。 ま、仕方がありません。

 

 雨は少し小降りになったようですが・・・。


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結果は?

2006-07-04 22:40:25 | 広瀬川

 かゆみと赤いぶつぶつの原因は、「木によるかぶれ」ということでした。

  3日、9時に皮膚科へ。先生、開口一番、曰く「木を切ったでしょう。かぶれです」と。

 それからいろいろ考えたのですが、確かに水面上ではなく、陸地の方の木に天井糸がからみ、なかなかはずれなかったので、はずしに行きそのとき枝を2,3回切ったことはありました。それは川の何処にでもある木で、触るとかぶれるような木ではないようでしたが。

 子どもの頃から、漆には負けて、かぶれてずいぶん苦労したものです。

  飲み薬を3種、塗り薬を1種もらってきました。すぐに効果が現れました。劇的にかゆみが薄れ、腫れも収縮し始め、赤いぶつぶつも収まるように感じました。

 急患センターで渡された薬とはやはり異なる。効き目が早い。ありがたい!!!

 心配してくれた皆様には、もう大丈夫です、ありがとうございました。

 気力・体力の衰えを何とかしなくてはと痛切に感じています。  

 

 今朝方、通勤途上で堤防から川を見たら、一人釣り人が居ました。竿操作から判断すると、ガラガケでしょう。昨日よりは水量が減少していますが、まあ、釣りができないようではなかったし、羨ましさを覚えながら出勤しました。

  平日に休みが取れるのであれば、何としてもとりたいと、スケジュールとにらめっこしています。

 台風3号の進路がとても気になるところです。

 このまま進めば、9日か、10日には日本上陸の可能性もあり、そうなるとますます釣りができる日がなくなります。これがサラリーマン釣り師の辛いところです。9日は山形県の小国川でシマノの大会が予定されているのに。 

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解禁日余話その3

2006-07-03 22:15:59 | 広瀬川

 何故かブログの自体が大きなゴシック体になっていました。昨日いろいろいじったからでしょうか?ここまではしたくなかったのですが・・・どうしたものか?

  昨日の仙台地方は、雨による濁りと増水で釣りになりそうにもありませんでしたが、それでも竿を出したくなる人がいるようで(その気持ちは分かりますが)、下流域の広瀬川であゆつりをしていた70歳の人が誤って転んだのでしょう、多分スリムウエダー着用だと思います、そのまま流されて、引き上げられたときには死亡、水死でした。引き上げられ、人工呼吸をしている場面がTVで映し出されました。

 思うに、多分この人はガラガケで鮎を釣ろうとしていたのだと思います。というのも、年齢もそうですが、広瀬川はとてもとも釣りはできないような状況でも、ガラガケならできるのです。

 実は私も若い頃はガラガケ一筋でした。というか、そういう釣り方しか知らなかったためなのですが、増水して濁っているときは逆にガラガケで釣れたのです。もちろん川に立ちこんで、竿の操作をすることができる範囲での増水・濁りですが。

 だから、この人も長年の釣り癖でこのくらいなら大丈夫だというくらいの軽い気持ちで川に入ったのだと思います。

 だけど現実はかなり増水していた、流れも速くなっていた。川に入らなくても、竿の長さ等にもよりますが、竿を出せます。昔は、かなり昔ですが、ガラガケは2間から2間半のさお、それも竹竿でした。2間だから3.6メートルですか、2間半で4.5メートルになります。

 ウエアも、長靴の更に長いもの、股下までの長靴でずり落ちないようにベルトに固定していました。それがその後胴長になり、スリムウエダーになってきました。

 いずれにしても、川の中で転べば危険きまわりないことは変わりません。

 釣り人は常に危険と隣り合わせにいるのだということを、肝に銘じておきたいものです。 合掌。

 恥ずかしいことに、私は泳げません。

 

  話は代わって、 ここ数年の広瀬川での解禁日の釣果です。時間は昼食等の休憩時間を含みます。

  2002年:5:40-13:40・・・42匹 

 2003年:5:50-11:50・・・2匹 

 2004年:5;05-12:20・・・3匹 

 2005年:5:25-12:00・・・43匹 

 今年2006年:5:00-13:30・・・13匹  

 今から来年のことを言うのは、鬼でさえも無視するでしょうが、多分来年も貧果でしょう。堰を改修するなりして、天然遡上鮎を中流から上流域にまで遡上できるようにならない限り。

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解禁日余話その2

2006-07-02 21:43:23 | 広瀬川

 解禁日。8時間も川に入っていましたが、どういうわけか、昼前くらいから右の手首あたりにかゆみを覚えるようになりました。

 当日の釣りの服装は、いつものように長袖にがまかつの鮎用グローブ(手甲)をしていました。もちろん日焼け防止のためでもあります。(手甲は、ダイワ・シマノと使いましたが、がまかつが長いし使いやすく感じます。) だから、基本的に素肌は出していません。

  それなのに、何故かかゆくなってきました。帰宅してからよく観ても大して何も変わっていない感じでしたが、痒いのでキンカンを塗っておくくらいで気がまぎれました。

 しかし、夕方から夜にかけては、次第にポツポツと赤くなってきました。右ほどではないけど、左手首付近も少し痒い気がしはじめました。  なぜだろう?、何が原因か?、考えても思い当たることはありません。悪い虫、毛虫、毛虫の粉、草、川底の石の昆虫、それとも食あたり・・・????

 夜中は眠いのに、痒くて痒くて睡眠不足。体の疲れと雨という天気、それにこのかゆみと寝不足、これらが合わさって、地元にしろ山形にしろ川に入る気力が萎えてしまいました。

 今日は日曜日なので、医療機関は急患センター行くしかない。診療科目に皮膚科はありませんが、外科は皮膚科も診られるということなので、雨の中車で別の区にある急患センターへ向かう。

  急患センターといえば、華は何といっても「小児科」と「内科」です。若い夫婦と乳幼児(とその泣き声)で一杯でした。今は若夫婦は二人で子どもを連れてきているようです。まあ、日曜日ということもあるのでしょうが。男女共同参画社会の観点から言えばいいことです。

  今日の診療にいたるまでの項目ごとの時系列です。

 9:55-申込み書に必要事項を記入して窓口にだす。保険証  

      も。皮膚科も外科で診てもらえることを確認する。

 10:20-窓口より、名前を呼ばれ、申込み書の片割れを受け

       取る。        

       看護師の受付(2番窓口)に出すようにとのこと。

 10:31-看護師の問診を受ける。

 10:35-外科の診察室へ。治療を受ける。塗り薬と飲み薬を

       出しますとのこと。赤いところに薬を塗ってもらう。先

       生がいうには、草にまけたのではないかと。

       石鹸は使わないこと。

       冷やすとかゆみが薄れると。

       外科の患者第一号の様子。  

       整形外科も患者は少ないが、外科ほどではない。

 11:23-会計の窓口から呼ばれる。診療費はm薬も入れて

       1960円。隣の薬局(らしきところ)から塗り薬と飲み

       薬を受け取り、終了。

 丁度1時間30分かかりました。外科だから早かったのですが。これが、小児科や内科だったら、とてもこんなに早くはいかなかったでしょう。

 急患センターの職員の対応は、よかったです。声が小さくて自分の名前が呼ばれるのが聞きにくかったことを除けば、大変立派でした。

 

 これは何かの祟りでしょうか?

 明日は、専門の皮膚科に行ってきます。

 いい話でなくて、すみませんでした。


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解禁日余話その1

2006-07-02 21:01:02 | 広瀬川

 昨日の解禁日に最初と最後に竿を出したところの写真です。写真は6月中旬?くらいのものです。

 解禁日はもっと水量がありましたが。 

 崖側が右岸で、川は右から左に流れています。右岸は断崖絶壁(この上には大きな木が川沿いにあり、とんびの格好の巣になっています。)、左岸側は河川敷の公園(近所の人人が畑をつくっています。)と堤防になります。中央左の橋は「澱橋」です。

  この橋の前後、特に上流側は一時仙台銀座というのか、鮎釣りの銀座といわれたくらい、いいポイントで、鮎も人一杯いたものです。

 私も、TVの取材を受けたこともあります。TVや新聞記者が一杯来たものです。

 どれくらい釣れたかというと、数ではなくて追い気でいうと、4本イカリで鮎が2匹かかってきたこともありました。また、オトリをかえて立ち上がってポイントへ送り出そうとする前に、勝手に、一方的に鮎が鮎を追い、かかっていたということもあり、今となっては遠い昔の、もう二度とありえないであろう昔話でした。


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