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庭の片隅には何種類かの小菊の花が咲いている…。
小菊に限らず、普通の大きさの菊やスプレー菊と言われる種類。
他にはガーベラ・カスピア・カスミソウ
もっともっと いろんな種類の花が我が家の庭や
少し離れた水田の一角に栽培していた時があった。
今は もう庭の一角に
菊は小菊だけとなり、カスミソウもほんの数株だけに…。
特に好きなガーベラも無くしてしまっては
寝たきりになってしまっている、ば~ちゃんが悲しむと思い
何とか数株ずつは残しておいた。
元々 昔はリヤカーに野菜を積んで
近くの町まで売りに出て日銭を稼いでいたば~ちゃん。
嫁時代、小遣いももらえずに苦労したと…。
だけど 売り物は好きなんだそうだ。
だから 生活の苦労をしなくてよくなってからも
最初は庭の一角に菊を作り始めて、自転車で売って歩いていた。
元来 人当たりが良くて、明るく元気者だったば~ちゃん。
けっこう 花のお得意様が増えて
脳梗塞で倒れる前までは、田んぼの一角に菊畑まで作るようになっていた。
お盆の時期になると、前々から注文をもらっていて
自転車で配達したりしていた。
何となく分かってきた事があった。
ば~ちゃんは花を売ると同時に寂しいお年寄りなどに
元気さを売っていたのではないだろうか…と。
一人暮らしのお年寄りの所へ行くと、何時まで経っても帰られなかった。
世間話をしたり亡くなった連れ合いに
いつも菊を買ってもらってるからと、仏壇に供えて…と、あげたりしていた。
花を売った少しばかりのお金は
孫にお菓子を買ったり、何かの足しになればと
食材などを買ってきてくれたものだった。
そんな ば~ちゃんだったから
脳梗塞で倒れても、花を買っていた人で
わざわざ お見舞いに来てくれた人もいた。
優しさとは、人を思い遣る気持ちとは…。
ば~ちゃんの、麦藁帽子と“さっぱかま”と花柄の割烹着・地下足袋
そして愛用の自転車に前と後ろに花を積んだ後姿にあったのだと思う。
注:“さっぱかま”とは、昔 作業する時に履いていたもんぺのような物で
会津木綿で作られていた…。