あんな話こんな話

会津生まれの会津育ち…三匹の猫と柴ワンコや家族に囲まれ、家庭菜園に勤しみ都会には住めそうにないローカルな私の日常。

会津若松市からデパートがなくなる…。

2009-05-24 23:18:57 | 思い出
若松市にあるデパートが、またひとつ閉鎖される事になった。
ばぁちゃんの枕もとにはラジオが置いてあって、夕食の時にニュースで言っていた。

私が学業を経て入社したデパートで、当時はかなりの数の新入社員がいた。
3か月ほどの見習い期間を終えて、正社員になるには一応試験みたいなものがあって
社訓だとか接客についてだとか…もっと いろいろあったような気がするのだが
すっかり忘れてしまった。

正社員として正規の職場へと振り分けられるのだが、美人さんは紳士服売り場や
エレベーターガールに配属される…なんて話があったが
あながち嘘ではないようだ…だって、私は選ばれなかったし(笑)

私に似つかわしく地下の食料品売り場でお菓子の販売が仕事だった。
そこには、私たちよりも少し上の男性店員さんが人気があったり
勤めて半年もしないうちに辞めて行ったり、職場同士でお付き合いする人がいたり
警察官になった友人もいて、仕事としては大変だったけど
人間関係には恵まれていたような気がする。

お中元やお歳暮の前には、全社員が集まって頑張ろう会があったり
促進販売の為に、いろんな商品の外販もあった。
棚卸の時は、終わってから課長自ら素麺を茹でてくれた事もあり
未だにパートで来ていたオバちゃんと出会ったりすると懐かしがってくれる。
まぁ 今は自分が当時のオバちゃん年代になってしまったのだが。

そうそう、今で言うストーカー事件とかもあって
友人の一人に言い寄る男性から、友人を守るために戦ったり(笑)
気のい強い一人の友人が、そのストーカー男を一括したのだが
不思議なもんで、ストーカーに遭ってた友人はそのストーカー君と結婚しちゃった^^;

その頃私と言えば、とあるメーカーさんに思いを寄せてた時があって
何度か飲みに連れて行ってもらったりしたけど…淡い思いだけが先行して
…その頃の思い出の曲が「勿忘草をあなたに」で、今でも胸キュン^m^
メガネが似合う人で、あれから私はメガネフェチになったのかもしれない。

同じ地下の先輩や同輩の気のあった人たちと磐梯山登山をしたり
または温泉へ一泊だとか、いろんな思い出が詰まったところだった。
今となっては、思い出だけが懐かしさというか…。


昔のアルバムを開いて…みんなで行った温泉での一枚。

結婚を機に辞めてしまったけど、今でも昔の友人がお勤めしてたり
なかなか、神明通りまで行く事は少なくなってしまったけど
それでも、たまには連絡を取り合ったりしている友人もいる。

近くのスーパーへ転職した友人は、会えば懐かしさに立ち話したり
中には若くして息子を亡くしたり、自分が病気になったり
あの頃上司だった人も、すでに亡くなられてしまった方も少なくはない。

当時の友人とは、お互いに生きる場所は別々になってしまったけど
青春時代の一ページを飾った所が無くなってしまうのは…かなり寂しい。
とどのつまりは時代の流れか…あのキラキラ輝いていた場所は
すっかりドーナツ化現象の為に、昔の繁華街の面影もなく
夜も早い時間にはシャッター街となる。


という事で、今日の一枚はシロツメクサと蜂をUP!



江戸時代にオランダからガラス器が送られてきた時
壊れないようにと乾燥したこの草を詰め物にしてあった事からしい。
花言葉は約束…。




コメント (34)
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