あんな話こんな話

会津生まれの会津育ち…三匹の猫と柴ワンコや家族に囲まれ、家庭菜園に勤しみ都会には住めそうにないローカルな私の日常。

2005-06-30 00:27:41 | ひとりごと
手を見るたびにいつも思う。
そんな時、さだまさしさんの“無縁坂”が過ぎる。

 母がまだ若い頃 僕の手をひいて
 この坂を登る度 いつもため息をついた
 ため息つけば それで済む
 後だけは見ちゃだめと
 笑ってた白い手は とてもやわらかだった
 運がいいとか 悪いとか
 人は時々 口にするけど
 そうゆうことって確かにあると
 あなたをみててそう思う
 忍ぶ 不忍無縁坂 かみしめる様な
 ささやかな僕の 母の人生


 いつかしら僕よりも 母は小さくなった
 知らぬまに 白い手は とても小さくなった
 母はすべてを暦に刻んで
 流して来たんだろう
 悲しさや苦しさは きっとあったはずなのに
 運がいいとか 悪いとか
 人は時々口にするけど
 めぐる暦は季節の中で
 漂い乍ら過ぎてゆく
 忍ぶ 不忍無縁坂 かみしめる様な
 ささやかな僕の 母の人生        作詩・作曲 : さだまさし


母がまだ私くらいの年だった時、私はまだ娘だった。
いつも自分の手を見ては、節くれだった皺の多い手だね…って。
その頃の私はまだ綺麗な手で、年を重ねるごとにあんな手になるんだ。

いやだなぁ…と思っていた。

力強そうな節くれだって皺が多く
苦髪楽爪とはよく言ったもので、母の手は爪が伸びる間もないくらい働き者だった。
やはり兼業農家に嫁いだ母は、農作業を一手に引き受けて
いつも爪の間には、土がこびり付いていた。

今 あの当時の母と同じような年代になって自分の手をよく見る。
すらっとした指はあの時のような母と同じく節くれ立っていた。
でも 爪は自分で切って短くしているし、爪の間も土がこびり付いてはいない。
あの時の母と比べたら、今の自分は何と楽をしているのだろうと
また 自分の手をかざす…。

自分の手を眺めるようになると先が短いって言うからやめてね…と、娘。

その娘も私の手を見て、節くれだってるって思うんだろうな。
そんな事を考えながら、手にクリームを刷り込んだ。
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
オカンの手 (1kb)
2005-10-01 23:15:05
2005-07-10 15:43:51



むっくりしててちょっとかさかさしてて

猫ポチコの肉球とやや似てる。

いつも一緒だとそういうとこが似るのか?
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Unknown (ちょびママ)
2005-10-01 23:14:08
2005-07-01 13:44:07



切なくなる記事でした。

「無縁坂」の歌詞の♪運がいいとか 悪いとか。。。

確かにあるよなぁって思います。

キレイな手は美しくずっと眺めていたいけど

節くれだって爪が黒くなった手は愛おしくて

両の手で包み込んで頬ずりしたくなります。



私も手を眺めてみたんだけど

とっても肉付きが良くてめちゃんこ健康そうな手でした(笑)
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