先日、TVのニュースでみた。広島の地方都市の話である。犬を散歩させている途中でいつもの行動だそうである。散歩の途中、ある寺の下に差し掛かると飼い主は犬のリードを外すのである。するとその犬は猛ダッシュで寺の石段を駆け上がり、鐘つき堂の下に一目散で向かい、鐘つき棒の紐を自分でくわえ、何回もゴンゴンと鐘を突くのである。TVでは「鐘つき犬」として好意的にかわいらしく放送されていた。でも自分は見ていて不愉快であった。「住職の許可を得ている」と飼い主は言っていたが、地域の公共施設的意味合いの強いお寺では頼まれれば「無下に」断ることもできまい。「地域の住民の方が喜んでもらえれば・・」とのことであろうが、お寺の鐘の音は遠達性が高く遠くの住民にまで聞こえるのだ。そして本来の意味では鐘つきとは仏教的な儀式として用いられるものであり、またあるいは時計のないころは時刻を知らせるための公共性もあったのである。決して個人の犬の「玩具」的な用いられ方は正しくはないと思うのだが。