熊本市の西郊島崎に「釣耕園」というお屋敷が有る。細川綱利代に作られた御茶屋であるとされる。ある時綱利が、家老米田米著や續団右衛門を伴い此の地で遊ばれた折、団右衛門に下げ渡されたという。米田が其の景色を「耕雲釣月」と賛美した事から、釣耕園と呼ばれる。阿蘇から運ばれたという数本の石楠花が、現在では弐百本ほどにふえて、花の季節には訪れる人たちの目を楽しませている。
www.manyou-kumamoto.jp/contents.cfm?type=A&id=47
高浜虚子の句碑 「時雨傘やみたれば主受取りぬ」 などもある。
續氏は本姓中村氏、「光源院義輝公御時世之時京村雲与申所謀反人有之籠城ス攻レトモ不落/丹波国野々村郡中村安藝守二可退治由被仰付節別上洛仕是を退治仕ル/依テ是ニツヽク者是ナシトテ續ノ名字を賜ル 」と先祖附は記す。續亀介は石田三成臣、石田滅亡後も関ヶ原で働き、忠興の目に止まり慶長五年丹後に於いて召し出された。関係資料には多くの「續氏」の名前を見ることができるが、家勢盛んな家であったのであろう。先にスキーで南極点到達の快挙を成し遂げられた、冒険家・続素美代さんも多分ご子孫ではなかろうか・・・・
journal.mycom.co.jp/articles/2008/03/24/tsuzuki/index.html
本日午後熊本県立図書館に出かけ、「続亀之助覚書」(上妻文庫23ページ)をコピーする。
先祖附では見受けられない事柄があるのではないかと、期待しながら訓下ししている。
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高浜虚子の句碑 「時雨傘やみたれば主受取りぬ」 などもある。
續氏は本姓中村氏、「光源院義輝公御時世之時京村雲与申所謀反人有之籠城ス攻レトモ不落/丹波国野々村郡中村安藝守二可退治由被仰付節別上洛仕是を退治仕ル/依テ是ニツヽク者是ナシトテ續ノ名字を賜ル 」と先祖附は記す。續亀介は石田三成臣、石田滅亡後も関ヶ原で働き、忠興の目に止まり慶長五年丹後に於いて召し出された。関係資料には多くの「續氏」の名前を見ることができるが、家勢盛んな家であったのであろう。先にスキーで南極点到達の快挙を成し遂げられた、冒険家・続素美代さんも多分ご子孫ではなかろうか・・・・
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本日午後熊本県立図書館に出かけ、「続亀之助覚書」(上妻文庫23ページ)をコピーする。
先祖附では見受けられない事柄があるのではないかと、期待しながら訓下ししている。