在熊の宮本武蔵研究家・福田正秀氏からメールをいただいた。以前氏から柴任三左衛門のお墓が見つかったことをお聞きしていた。其のことが地元「神戸新聞」に掲載されたとのご連絡である。
http://www.kobe-np.co.jp/news/touban/0001954972.shtml
氏の著書「宮本武蔵研究論文」「宮本武蔵研究第2集・武州傳来記」は、その内容の濃密さに於いて稀有である。その中で、柴任三左衛門についても詳細に記述しておられるが、お墓の発見はまた新たな研究へと導かれることであろう。
三左衛門の父・本庄喜介は細川忠利の死にあたり殉死している。
「追腹の衆妻子及びに兄弟付」には、次のようにある。
御切米拾五石五人扶持
本庄喜介
右之女房
百五十石 本庄角兵衛
御目見ニ仕候 喜介二男歳十六・本庄熊介
むすめ壱人
「喜介切米扶持方、家屋敷共ニ無相違せかれ熊介ニ可遣也 印」
この本庄熊介が、後の柴任三左衛門である。兄・角兵衛がすでに別禄を拝領していたことにより、熊介(三左衛門)が父・喜助の遺領を継いだ。宮本武蔵の二天一流の後継伝承者として高名である。その事蹟については省略するが、福田氏の著作を是非ともお読みいただきたい。
(又、氏の「加藤清正妻子の研究」は、新たな資料を得て大きく進展している事をご報告しておく)
http://www.kobe-np.co.jp/news/touban/0001954972.shtml
氏の著書「宮本武蔵研究論文」「宮本武蔵研究第2集・武州傳来記」は、その内容の濃密さに於いて稀有である。その中で、柴任三左衛門についても詳細に記述しておられるが、お墓の発見はまた新たな研究へと導かれることであろう。
三左衛門の父・本庄喜介は細川忠利の死にあたり殉死している。
「追腹の衆妻子及びに兄弟付」には、次のようにある。
御切米拾五石五人扶持
本庄喜介
右之女房
百五十石 本庄角兵衛
御目見ニ仕候 喜介二男歳十六・本庄熊介
むすめ壱人
「喜介切米扶持方、家屋敷共ニ無相違せかれ熊介ニ可遣也 印」
この本庄熊介が、後の柴任三左衛門である。兄・角兵衛がすでに別禄を拝領していたことにより、熊介(三左衛門)が父・喜助の遺領を継いだ。宮本武蔵の二天一流の後継伝承者として高名である。その事蹟については省略するが、福田氏の著作を是非ともお読みいただきたい。
(又、氏の「加藤清正妻子の研究」は、新たな資料を得て大きく進展している事をご報告しておく)