上月文右衛門の父親は関が原の武功者豊後守景重、文右衛門は幼少の頃から福島正則の側近くに仕えた。高麗・関が原陣も勤め、正則の信州転封に際して廣島城城明渡しについての行動を覚書にして残した。(上月文右衛門覚書)又自ら正則の肖像画を画いて、菩提寺京都妙心寺海福院に納めた。正則の配所信州にも赴いたが、正則死去後京都で牢人、平野権兵衛・阮西堂の斡旋により寛永20年(1643)、光尚に召抱えられた。5,000石。
5000石 3000石
上月豊後---+---文右衛門---+---長右衛門
| | 800石
| +---源助
| | 700石
| +---八右衛門・・・・・・・・・・・・・・・→半下家(900石)
| | 500石
| +---十郎右衛門・・・・・・・・・・・・・→寿家(500石)
|
+---平三郎----------三郎四郎
父の死後伯父文右衛門を頼り熊本に至る
参考サイト 【福島家臣団】 www5e.biglobe.ne.jp/~nikke/hukusimakasindank.html
5000石 3000石
上月豊後---+---文右衛門---+---長右衛門
| | 800石
| +---源助
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| +---八右衛門・・・・・・・・・・・・・・・→半下家(900石)
| | 500石
| +---十郎右衛門・・・・・・・・・・・・・→寿家(500石)
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+---平三郎----------三郎四郎
父の死後伯父文右衛門を頼り熊本に至る
参考サイト 【福島家臣団】 www5e.biglobe.ne.jp/~nikke/hukusimakasindank.html