津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川家家臣・上月氏

2009-05-04 17:22:45 | 歴史
 上月文右衛門の父親は関が原の武功者豊後守景重、文右衛門は幼少の頃から福島正則の側近くに仕えた。高麗・関が原陣も勤め、正則の信州転封に際して廣島城城明渡しについての行動を覚書にして残した。(上月文右衛門覚書)又自ら正則の肖像画を画いて、菩提寺京都妙心寺海福院に納めた。正則の配所信州にも赴いたが、正則死去後京都で牢人、平野権兵衛・阮西堂の斡旋により寛永20年(1643)、光尚に召抱えられた。5,000石。

              5000石         3000石 
  上月豊後---+---文右衛門---+---長右衛門
          |           |   800石
          |           +---源助
          |           |   700石        
          |           +---八右衛門・・・・・・・・・・・・・・・→半下家(900石)
          |           |   500石
          |           +---十郎右衛門・・・・・・・・・・・・・→寿家(500石)
          |
          +---平三郎----------三郎四郎
                           父の死後伯父文右衛門を頼り熊本に至る

      参考サイト 【福島家臣団】   www5e.biglobe.ne.jp/~nikke/hukusimakasindank.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

霜女の一族

2009-05-04 16:25:53 | memo
 
 ガラシャ夫人の最後を記した、「霜女覚書」の霜女の一族について

                細川家家老
  真賀法印---+---●米田助右衛門是政室(雲仙庵)
          |
          +---●野々口丹波室 此子野々口又之允正保年中當御家ニ被召出候
          |
          +---某 比良内蔵助----比良太郎兵衛
          |
          +---●シモ入江兵衛尉室 秀林院様御側ニ■勤御遺言承り候、入江傳右衛門母なり
          |
          +---某 以斎坊 後還族
          |
          +---某 喜斎坊 後還族---●コウ 毛利藤兵衛ニ嫁ス
          |
          +---某 田中官兵衛 後号通安
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花の一族

2009-05-04 13:02:42 | 歴史
 佐藤仙九郎という人が在る。江戸御留守居(五百石外ニ百御足)、 寛政十三年九月(大組附)~享和二年十月 中小姓頭、享和二年六月~文化四年五月 用人を勤めたという人である。この人が斎滋の命により息仙右衛門とともに華道宏道流に入門して、後「肥後宏流流祖」(豁雲斎梨明)となった。その仙右衛門の跡は弟・山崎久之允が継承した。  
                   初代     
     仙九郎---+---(嫡子)仙右衛門 (哄雲斎梨啁)                   
            |         
            +---(二男)吉田潤之助                      
            |                     
            +---(三男)須佐美七郎助                     
            |       二代                     
            +---(七男)山崎久之允(伝左衛門)---半之助(貞嗣)


 さて仙九郎の二男・吉田潤之助も、細川斉護代主命に依リ菖蒲の分苗の交渉をするもかなわず、故に浪人し菖翁に弟子入して培養法の伝授を受け天保四年帰国した。肥後六花の「肥後花菖蒲」の祖とされる人である。

 宏道流を継承した七男・山崎久之允の子・山崎貞嗣は、父から宏道流を敬称すると共に、山茶花の改良に勤め、肥後六花「肥後山茶花」の始祖とされる人である。

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする