(-922-)寛永十五年三月朔日
・山々ヲ分擔シ落人ヲ狩ラシム
・原城石垣等ヲ破却ス
・廿七日鍋島前ノ明キシ出丸ニ仕寄ヲ付ク
籠城勢ト激シキ銃撃戦アリ
光尚鍋島勢ノ塀際へ寄ルヲ見テ軍勢ヲ乗リ込マシム
忠利急キ聞キ具足モ著ケズ駆付ク
・光尚立花忠茂ノ問ニ早々乗リ込ムベキヲ答フ
・鍋島勢二ノ丸塀際ヨリ焼ク故奥へ入レズ
三ノ丸ハ撫斬
忠利本丸一番乗ヲ果ス
二ノ丸本丸ノ入口ニテノ死傷者多シ
・忠利家臣陣安昶大将四郎ノ首ヲ取ル
・斬捨ト諸手申合ス
上使注進ノタメ斬捨テシ首ヲ集メシム
盗マレシ首、焼ケシ首
忠利三千六百餘ヲ集ム
本丸未ダ鎮火セズ
・生捕多ク一揆ノ頭及ビ惣人數判明ス
・切支丹自害ノ躰
燠ヲ押シ上ゲ火中ニ入リテ自害ス
奇特ナル死様ニ感ズ
・本丸下ノ小丸ニ集リシ者ヲ諸手入交リ攻ム
細川勢ハ際ニテ見物ス
歴々ノ旗馬標番差物
・黒田忠之跡備ニ割リ込マレ本丸ニ入レズ
(-923-) 同 三月二日
・忠利・光尚歸陣ス
・軽症者ヲ加フレバ家中ノ死傷者ハ弐千九十九人
・光尚参府ヲ松平信綱ノ指圖ニ待ツ
(-925-) 同 三月十二日
・光尚十五日ニ熊本出立ノ豫定
・松平信綱大矢野ヲ経由シ中天草ニ行ク
・松倉勝家ハ島原三ノ丸二、寺澤堅高は唐津へ戻ラム
・両島ノ荒地當年ハ作取
・三齋井樓ヲ焼カシムハ鍋島ナルヲ推量ス
(-926-) 同 三月十七日
・其後重傷者ニ死ヌ者モアリ
・諸勢ノ剛憶ハ述べ難シ
・家中手負ノ者多ク未ダ武功ノ確認成ラズ
・乗込急ナル故人數纒モナラズ
・道服ニテ駆付ク
・細川立孝・松井寄之油断無ク働ク
・城攻ノ諸大名ノ参府ハ無用
・上使長崎名護屋を巡見シ小倉ニ向フ豫定
・本丸迄一度ニ攻メシ故小姓等モ多ク負傷ス
(-927-) 同 三月十七日
・総攻前ニ黒田ト鍋島諍アリ
黒田勢ノ鉄炮鍋島勢ニ中ル
鍋島方ヨリ三度理ルモ止マズ
鍋島勢見方討ノ報復ニ黒田勢ニ発炮ス
・黒田忠之上使へ本丸一番乗大将四郎首ヲ取ルト告グ
上使ノ反問
忠之虚偽ノ申告ヲ認ム
・黒田付ノ横目林勝正大江口ニ一番ニ乗リ込ム
(-928-) 同 三月廿三日
・三齋江戸ニ著ス
・諸備ニ横目居リシ故自ラ一番乗ト称セシ事無シ
・廿七日酉刻本丸ニ乗込ミ廿八日午刻迄陣ス
・鍋島勢ハ横目榊原職直父子一番乗ス
・鍋島勢二ノ丸乗込ハ何レヨリモ早キ筈
・細川勢手負死人ノ目録ヲ加々山可政迄送ル
・大将四郎ノ法度書ノ冩ヲ進ム
・本丸へ乗込シ時目付馬場利重自筆ニテ豊後へ注進ス
利重松平信綱等ノ前ニテモ同様ニ語ル
・信綱ノ前ニテ細川勢一番乗トハ言ハズ
・信綱及ビ戸田氏銕ノ家臣細川勢先手ニ加ハル
・三浦正次本丸陥落ヲ廿八日午刻トスルモ誤リニハ非ズ
・生存者掃蕩ニ廿九日迄ハ本丸ニ懸カル
(-924-) 同 三月晦日
・廿七日乗込ヲ疑フ者アリテモ苦シカラズ
・信綱等連署ノ大坂ヘノ注進状ニモ廿七日乗破トアリ
・馬場利重上使太田資宗へも細川勢ノ入様ヲ申ス
・二ノ丸ノ飛火ニテ本丸焼クトノ噂ハ誤リ
・細川勢乗込ノ後家臣放火ス
・廿八日午頃ニ陣屋ニ歸ル
・廿九日迄ハ潜伏者ヲ探シ殺ス
・太田資宗小倉ニテ上意ヲ傳フ
・焼ケシ大将四郎ノ家際ニテ四郎ヲ討取ル
以上
・山々ヲ分擔シ落人ヲ狩ラシム
・原城石垣等ヲ破却ス
・廿七日鍋島前ノ明キシ出丸ニ仕寄ヲ付ク
籠城勢ト激シキ銃撃戦アリ
光尚鍋島勢ノ塀際へ寄ルヲ見テ軍勢ヲ乗リ込マシム
忠利急キ聞キ具足モ著ケズ駆付ク
・光尚立花忠茂ノ問ニ早々乗リ込ムベキヲ答フ
・鍋島勢二ノ丸塀際ヨリ焼ク故奥へ入レズ
三ノ丸ハ撫斬
忠利本丸一番乗ヲ果ス
二ノ丸本丸ノ入口ニテノ死傷者多シ
・忠利家臣陣安昶大将四郎ノ首ヲ取ル
・斬捨ト諸手申合ス
上使注進ノタメ斬捨テシ首ヲ集メシム
盗マレシ首、焼ケシ首
忠利三千六百餘ヲ集ム
本丸未ダ鎮火セズ
・生捕多ク一揆ノ頭及ビ惣人數判明ス
・切支丹自害ノ躰
燠ヲ押シ上ゲ火中ニ入リテ自害ス
奇特ナル死様ニ感ズ
・本丸下ノ小丸ニ集リシ者ヲ諸手入交リ攻ム
細川勢ハ際ニテ見物ス
歴々ノ旗馬標番差物
・黒田忠之跡備ニ割リ込マレ本丸ニ入レズ
(-923-) 同 三月二日
・忠利・光尚歸陣ス
・軽症者ヲ加フレバ家中ノ死傷者ハ弐千九十九人
・光尚参府ヲ松平信綱ノ指圖ニ待ツ
(-925-) 同 三月十二日
・光尚十五日ニ熊本出立ノ豫定
・松平信綱大矢野ヲ経由シ中天草ニ行ク
・松倉勝家ハ島原三ノ丸二、寺澤堅高は唐津へ戻ラム
・両島ノ荒地當年ハ作取
・三齋井樓ヲ焼カシムハ鍋島ナルヲ推量ス
(-926-) 同 三月十七日
・其後重傷者ニ死ヌ者モアリ
・諸勢ノ剛憶ハ述べ難シ
・家中手負ノ者多ク未ダ武功ノ確認成ラズ
・乗込急ナル故人數纒モナラズ
・道服ニテ駆付ク
・細川立孝・松井寄之油断無ク働ク
・城攻ノ諸大名ノ参府ハ無用
・上使長崎名護屋を巡見シ小倉ニ向フ豫定
・本丸迄一度ニ攻メシ故小姓等モ多ク負傷ス
(-927-) 同 三月十七日
・総攻前ニ黒田ト鍋島諍アリ
黒田勢ノ鉄炮鍋島勢ニ中ル
鍋島方ヨリ三度理ルモ止マズ
鍋島勢見方討ノ報復ニ黒田勢ニ発炮ス
・黒田忠之上使へ本丸一番乗大将四郎首ヲ取ルト告グ
上使ノ反問
忠之虚偽ノ申告ヲ認ム
・黒田付ノ横目林勝正大江口ニ一番ニ乗リ込ム
(-928-) 同 三月廿三日
・三齋江戸ニ著ス
・諸備ニ横目居リシ故自ラ一番乗ト称セシ事無シ
・廿七日酉刻本丸ニ乗込ミ廿八日午刻迄陣ス
・鍋島勢ハ横目榊原職直父子一番乗ス
・鍋島勢二ノ丸乗込ハ何レヨリモ早キ筈
・細川勢手負死人ノ目録ヲ加々山可政迄送ル
・大将四郎ノ法度書ノ冩ヲ進ム
・本丸へ乗込シ時目付馬場利重自筆ニテ豊後へ注進ス
利重松平信綱等ノ前ニテモ同様ニ語ル
・信綱ノ前ニテ細川勢一番乗トハ言ハズ
・信綱及ビ戸田氏銕ノ家臣細川勢先手ニ加ハル
・三浦正次本丸陥落ヲ廿八日午刻トスルモ誤リニハ非ズ
・生存者掃蕩ニ廿九日迄ハ本丸ニ懸カル
(-924-) 同 三月晦日
・廿七日乗込ヲ疑フ者アリテモ苦シカラズ
・信綱等連署ノ大坂ヘノ注進状ニモ廿七日乗破トアリ
・馬場利重上使太田資宗へも細川勢ノ入様ヲ申ス
・二ノ丸ノ飛火ニテ本丸焼クトノ噂ハ誤リ
・細川勢乗込ノ後家臣放火ス
・廿八日午頃ニ陣屋ニ歸ル
・廿九日迄ハ潜伏者ヲ探シ殺ス
・太田資宗小倉ニテ上意ヲ傳フ
・焼ケシ大将四郎ノ家際ニテ四郎ヲ討取ル
以上