手永 お尋ねにお答え
手永とは肥後藩における地方行政の単位。郡と村の中間にあって、数村あるいは数十村を一つの単位とする。細川氏が小倉藩時代慶長十九年頃には手永制度は確立されている。北九州地方では自己の手の及ぶ範囲を「てなが」と呼ぶ方言が有り是に由来するという。小倉藩で確立された手永制を肥後転封によって肥後藩にもたらされた。(新熊本市史・通史編-第四巻 第一章・第二節「手永の構造」から要約)
手永とは肥後藩における地方行政の単位。郡と村の中間にあって、数村あるいは数十村を一つの単位とする。細川氏が小倉藩時代慶長十九年頃には手永制度は確立されている。北九州地方では自己の手の及ぶ範囲を「てなが」と呼ぶ方言が有り是に由来するという。小倉藩で確立された手永制を肥後転封によって肥後藩にもたらされた。(新熊本市史・通史編-第四巻 第一章・第二節「手永の構造」から要約)