津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

男を止メ候

2009-05-18 18:36:30 | 歴史
 「細川忠雄家譜」を読むと、他の史料では伺い得ない記述が見られ驚かされる。寛永十九年休無忠隆は初めて、八代に三齋を訪ねている。綿考輯録には誠に簡略に「八月、休無様初而八代江御出被成、同冬御帰京之時ニ三齋君より守家之御腰物被進候」とし、この刀の由緒、その後の行方などが記されている。

 この数ヶ月に及ぶ、三齋と休無の久闊をあたためる毎日は、どのようなものであったろうかと常々想っていたのだが、是こそ三齋の心情を窺い知る事のできる濃密な日が送られていることを知ることが出来る。    この事を次回の「細川内膳家家譜-その四」でご紹介する。
 休無の来訪は、三齋のたっての願いであった事がわかる。そして其の目的は、八代領六万石の継承問題である。休無に是非とも継がせたいという、三齋の強い想いが家譜の記述に伺える。しかしながら休無はこれを断るのである。再三の説得が行われるが、休無の心は動かない。休無は「男を止メ候」者であると云う。これはどういう意味であろうか。この前か跡かは定かではないが、休無の徳川家直臣としての召出しの話が、本多正信を介して進められていたらしい。これについても同様理由で断っている。休無はまさしく「無」の世界に生きている。これにより八代領の継承問題は、立允(細川立孝)へと傾いていくのである。休無が帰京してすぐ、証人として江戸ニあった立允が八代に帰るのである。私たちは忠隆(休無)を「運のない人」と見てこなかっただろうか。休無の心は崇高な世界に生き、満足の一生を終えたのであろう。
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細川内膳家・家譜 その三

2009-05-18 08:28:28 | 歴史
    一、三齋様御意ニ休無若キ時ハ加■成
      生レ付成者が今ハ能も者な連きりて
      見事成ル取置なり心付し事有連ど
      言出して却而請も如何と恥入処有せめ
      てさきの事ゆへ我等秘蔵の物二而も可遣ト
      被仰候利休が有馬ニ湯治ニ参り見出し
      与請て二ツと無キ釜とて秘蔵せし阿

      弥陀堂ト言釜 三齋様御所望ニ而御手ニ
      入天下無類の名器なりしを 休無様へ
      被進候是ハ余リニ所奉存由御礼被仰上候
      得共 三齋様御■口ニて■ちのよふな
      数寄者ニ遣るハ阿弥陀を地獄ニ落そ
      かしやと被遊御笑候此御釜
      真源院様江 休無様より被進候 
    一、休無様江御本家様より諸事被為御念
      
      入候御事なり其時分之御書三(二カ)通
                 左ニ記
       十一月廿六日之御書致拝見候
    一、如御意 上様早々御本復目出度儀と
      申事ニ御座候我等儀能時分罷下大慶
      奉存候事
    一、御無事ニ御座候由弥重奉存候我等も
      六も無事ニ罷在候事
    一、御知行之米上着仕候由被為入御念候
      御書之旨奉参存候爰元相替儀も無御座候
      此旨宜有披露候恐々謹言
                  越中
        十二月十三日   忠利御判
            魚住与助殿

      江戸就参勤仕罷上候間御使者
      申上候仍 御太刀一腰御馬壱疋
      代黄金拾両致進■候此旨可有披
      露候恐々謹言
                肥後守
        四月二日     光尚御判
            魚住与助殿

    一、休無様より 御本家様御家老衆江
      被下御書二通記之

      従越中守的場甚四郎江被差越
      家等中務ニも小袖彼(被カ)送候に詠之知申候
      其件よりも早々給満足申候此表無
      異儀候可被心安候家内何レもへ心得
      可申候猶甚四郎へ申聞候恐々謹言
        十月廿五日    休無
                     御判
           長岡監物殿
                  参
      尚/\同列へも心得頼入候以上


         尚/\栄鷹一段見事なる鷹ニて
         則志ゝ計當頓而取■■可申■存候以上
      先度召使宜以出状申候■取之巣
      鶴之儀無心申候処給候則肥後守より
      居候被上候無事ニ有着仕て満足申候
      中務よろこび申候貴殿へ能礼を可申由
      此中眼中煩申候ニ付以書状不申候相心得
      可申旨候其元何レも無事候哉と存候
      雲仙■(尼カ)へも一傳申度候近々可申達候
      恐々謹言        休無
        十一月廿五日     御判
           長岡監物殿
                返報

      右之御書ハ監物殿家来阿野文右衛門与
      申者取持致居候を左用角左衛門へ見セ申候
      休無様御直筆故両通之内壱通を
      請差出候ニ付此方江有り

          なんとも歯がゆい事ながら、読めない字が沢山あります。
             一日中睨みつけていたのですが、此のありさまです。
             次に進むために見切り発車と相成りました。お許しを・・・
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