古い資料を整理していたら、平成14年6月2日付の熊本日々新聞の切抜きが見つかった。熊本最古の写真として、明治4年4月浅草の写真館で撮影されたF氏の写真である。ご先祖様をたどると、忠利公に殉じたHT氏の介錯役を勤められていた。HT氏のご子孫とは、メールを差上げたり資料をお送りしたりしている。熊本在住であられるが、F氏のご子孫も熊本在住である。F氏は存じ上げないが不思議な「縁」を感じる。
さて、赤穂浪士・堀部弥兵衛の介錯役を勤められた米良市右衛門のご子孫が、弥兵衛のご子孫にお会いになっておられる。その顛末が、08年ベストエッセイ集に「介錯人の末裔」として掲載されている。ご先祖を辿れば熊本人、東京在住道産子サラリーマン・エッセイストKK氏の筆によるものだが、05・06・08年とプロのエッセイストに伍して掲載の栄誉を獲得されている。ご一読を・・・
http://www.kitanihon-oil.co.jp/pc/essay/tsuguo01.htm
我が家の先祖も忠興公に殉じたM氏の介錯役を勤めた。ご子孫も判明している。
玄祖父・上田休兵衛も言われなき罪を得て亡くなったが、こちらはさすがに介錯人は不明である。
堀部氏のご子孫に逢われたKK氏は、エッセイによると「あッ、どうもその節は、あの、お役目とはいえ、どうも……」と挨拶されたそうな。思わずフッと笑ってしまったが、よく理解できる。
消息は消息として、そっとしておいたが良いのかもしれない。
さて、赤穂浪士・堀部弥兵衛の介錯役を勤められた米良市右衛門のご子孫が、弥兵衛のご子孫にお会いになっておられる。その顛末が、08年ベストエッセイ集に「介錯人の末裔」として掲載されている。ご先祖を辿れば熊本人、東京在住道産子サラリーマン・エッセイストKK氏の筆によるものだが、05・06・08年とプロのエッセイストに伍して掲載の栄誉を獲得されている。ご一読を・・・
http://www.kitanihon-oil.co.jp/pc/essay/tsuguo01.htm
我が家の先祖も忠興公に殉じたM氏の介錯役を勤めた。ご子孫も判明している。
玄祖父・上田休兵衛も言われなき罪を得て亡くなったが、こちらはさすがに介錯人は不明である。
堀部氏のご子孫に逢われたKK氏は、エッセイによると「あッ、どうもその節は、あの、お役目とはいえ、どうも……」と挨拶されたそうな。思わずフッと笑ってしまったが、よく理解できる。
消息は消息として、そっとしておいたが良いのかもしれない。