津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

「江戸時代の医学・名医たちの三〇〇年」から

2012-10-11 19:38:02 | 史料
    江戸時代の医学: 名医たちの三〇〇年
 
           吉川弘文館

昨日図書館に出向いた折、新刊棚にあったこの本をパラパラめくっていたら、肥後藩士伊良子云々という文字が目に飛び込んできて、迷うことなく借り出してきた。
その内容は次のようにある。

             カスパル流外科を学んだ日本人医師に伊良子道牛(1671~1734)がいる。諱を好生、字を道牛、号を見牛、無逸という。
             かつては最上家重臣という伊良子家は、父の代に最上家改易にあい、浪人として熊本に向かい、細川家家臣となった。

確かに細川家家臣に伊良子氏があるが、医業を専らとするような感じは見受けられない。道牛は元禄九年(1696)、京都で開業して紅毛流外科と漢方医学を折衷した「伊良子流外科医」として名をなしたという。細川家家臣として明治にいたる伊良子氏との関わりは、先祖附で判明するのかどうか、まずはこれを読み下す必要がある。
医家・伊良子家は明治維新まで御典医として名声を博し、華岡青洲等に大きな影響を与えたとされている。

江戸期の医学については、目から鱗の佳書であった。
 

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美濃源氏フォーラム・mino阿弥 様からの追伸

2012-10-11 19:09:34 | 歴史

前回 【加藤家「桔梗紋」について】 に引き続き再度のコメントを頂戴した。
ここで書かれている内容は、熊本安國寺様が所蔵される「土岐系図」と共通する部分が見られる。
安國寺様のご了解を得て何とか公に出来るように努力をしたいと考えている。 

「明智氏一族宮城家相伝系図書」によれば、明智頼秋-頼秀とされていますが、「頼秀」は、「頼秋」と同母であり兄「頼秋」の養子となっています。応永二十四年生、加藤正吉が討死した同時期の長禄元年に戦死とされています。加藤正吉は長禄二年討死とされており少し合いませんが。「頼秋」は応永二十二年生、永享十二年卒二十六歳で亡くなっており子無き為、弟「頼秀」が家督を受け継いだとされています。「頼秀」の母は尾張修理大夫義種女、室は土岐美濃守持益女」。(土岐持益は美濃国土岐氏七代守護)応永二十四年生、長禄元年戦死。四十一歳。
「頼弘」嘉吉元年生、母は土岐持益女。永正五年卒六十八歳。「光継」応仁二年生、母は揖斐左近太夫基春女。室は進士山岸美濃守光信女也。天文七年卒、七十一歳。「光綱」明応六年生。三十九歳。天文四年卒。三十九歳。母は進士美濃守光信女也。蓋し光信は明智頼弘の妹婿也。「光綱」は多病のため父宗善(明智光継)の命により「光綱」の甥「光秀」を以って家督と為す。「光秀」は、「光綱」の妹婿進士山岸勘解由信周の次男也。
(進士光信は明智頼重の婿長山越前守頼慶の孫也。明智進士両家の間、代々重縁成。進士は元来氏に非ず職原の官名也。本苗山岸氏を称す也。)
明智光秀を語る場合、明智氏と山岸氏の重縁関係が見逃されているような気がします。

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加藤家「桔梗紋」について

2012-10-11 09:06:16 | 歴史

美濃源氏フォーラム http://bbs10.aimix-z.com/gbbs.cgi?room=bureyko1&mode=th の mino阿弥 さまから加藤家の家紋についてのコメントをいただいた。

「明智氏一族宮城家相伝系図書」「美濃国諸家系譜」から、加藤清正は明智光秀を遡ること五代・頼秋の弟・頼方が加藤家の養子となり、清正はその末裔だとされる。加藤家の桔梗紋は土岐明智氏に関わるものではないかとのご指摘である。大変興味深い。
コメント欄では皆様のお目に留まらないのではないかと考えここに掲載した。 

加藤家家紋
熊本城公式ホームぺージの中に「歴史ドラマ」という項目があり加藤家家紋について記述されています。
「清正が肥後に赴くにあたり、秀吉は前年に改易した讃岐の尾藤知定の武具・調度一切を清正に与えました。・・・その尾藤家の紋が「桔梗」。清正は桔梗紋の入った武具・調度をそのまま使い自分の家紋にしたのです」とあります。
「明智氏一族宮城家相伝系図書」では、(土岐)頼宗(頼清)-頼兼-頼重-頼篤-国篤-頼秋-頼秀-頼弘-光継-光綱-明智光秀とされ、頼秋の弟に「頼方」がいて加藤四郎主計頭、母同頼秋、加藤四郎太夫正吉の養子と成る。尾州に移り住み斯波武衛家に仕えると書かれています。
頼秋の生母は尾張修理大夫源義種女也。
「美濃国諸家系譜」の加藤清正系図には
「正吉」(加藤四郎太夫、大力量、美濃国各務郡宮䑓に住、又加茂郡に住とも。長禄二年土岐家督争いの合戦にて討死。四十五歳。)-「頼方」(加藤四郎主計助、印紋桔梗。又は蛇の目。実は土岐郡明智城主明智修理大夫頼常の四男也。正吉婿養子と為す。母は尾州斯波一家尾張修理大夫義種の女也。伝に曰く加藤四郎太夫正吉は長禄の合戦に明智刑部大輔頼房に合体、力戦して討死。子息これ無きにより、頼房舎弟頼方を以って婿養子と為し家督を継がしむ。是より子孫系図正明也。頼方、母の縁により尾州に移り、愛知郡中村に住。文亀二年九月三日死、六十二歳)-「清方」(母は加藤正吉女也)-「清信」-「清忠」-「加藤清正」(紋、蛇の目。藤桔梗也。加藤虎之助、主計頭。肥後守、従五位下、侍従、高七十三千八百四拾石云々。とあります。
清正の桔梗紋は、土岐明智氏流のためではないかと思われます。

コメント (4)
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我が家検索リスト・2 (68-2 熊本所分絵図 山崎之絵図)

2012-10-11 08:18:53 | 地図散歩

         図中の朱線は市電(路面電車)の位置を示す。作事所とあるところが現・市民会館である。
         その他特別なところは下記リストに注記する。 

         段(街区)毎に左ブロックから記す

1段目(作事所うら、現・市立会館)
  天神、 高橋善兵衛、 島田伝之丞、 作事所

2段目
  上田久兵衛、 村井十右衛門(借置)、 野田伊兵衛(借置)

  岡島要右衛門(借置)、 村川作左衛門(借置)、 寺本兵右衛門(借置)、 道家角左衛門(借置)、 吉海市之丞(借置)
  山上甚太郎、 村松市之助(借置)、 小畠富太、 越生儀兵衛(借置)、  小野長四郎(借置)  交通センター

  横田十郎右衛門、 
  松本伝十郎、 魚住万之丞(借置)、 古市宗安、 清田儀左衛門  NTT九州など

3段目
  不破源太郎、 佐方長左衛門、 
  廣田格之助(借置)、 井上彦五郎(借置)、 藪図書(添屋敷)

  弓削友助、 辛川孫四郎、 熊谷伝之助(借置)、 磯野貞之允(借置)、 清田左小右衛門
  芦田伝助(借置)(添屋敷)、 大槻勘右衛門(借置)、 新見又十郎(借置)、 加々美健次郎(借置)、 古山文内(借置)(添屋敷)、 磯野貞之丞
                                                                                       

  松崎治之助(借置)、 西郡直衛(借置)、 内藤源之允、志水新丞
  園田久右衛門、 宮川工馬之助(借置)、 元田八右衛門(借置)  県民百貨店など・元田永孚(教育勅語起案者)生家の碑あり  

  木村男吏  産文会館

4段目
  荒木慎一郎(借置)、 高本孝太郎、 
  小田原武兵衛(借置)、 野田三郎兵衛(借置)、 原田丹蔵

  朽木内匠(下屋敷)、 神山源之助(借置)、 町三右衛門、 佐々布又三郎(借置)、 上羽弥兵衛(借置)、 井沢伝次
  仁田四郎右衛門(借置)、 片山三哲(借置)、 松井直記(添屋敷)、 伊藤長兵衛、 木野左兵衛(借置)、 宗像嘉兵衛(借置)

  木村荘右衛門、 加々山権内(借置)、 太田平七、 菅家又十郎、 木村得太郎
  上羽左納(借置)、 福谷市之助(借置)、 武原清之允、 井沢十郎右衛門(借置)、 中西太兵衛(借置)、 槙島半兵衛(借置)、 竹田俊兵衛(借置)
                                                                                      

  元田八右衛門(借置)、 上野彦左衛門(借置)、 出田十郎兵衛(借置)
  池部弥一郎(師役在勤中借置)、 伊良子喜左衛門(借置)   辛島公園

5段目
  的場範之允(借置・添借置)、 稲津辰之助(及、添借置)、
  山室宗全(借置・添借置)、 横山常之允(借置)、 武原八左衛門(借置・添借置)

  轟木万雄(借置)、 谷久左衛門(借置)、 雨森浅之助(借置)、 菅武右衛門(借置)、 伊藤又右衛門(借置)、 神谷矢柄
  三苫惣左衛門(借置)、 吉田源左衛門(借置)、 大竹甚兵衛(借置)、 上野堅右衛門(借置)、 橋本源右衛門(借置)、 岩崎隣之允(借置)

  神谷矢柄(借置)、 松岡九兵衛、 小林半右衛門(借置)、 奥村郡記(及、添借置)、 
  後藤多兵衛(及、添借置)、 沢村萬春、 清原二一郎(借置)、 渡辺一郎左衛門

  塚本弥左衛門(借置)、 吉山典午(借置)、 辛川喜左衛門(借置)、 
  荒木新三郎、 石橋藤八(借置)、 内藤宗賢(借置)、 小堀敬五郎(借置)   肥後銀行本店

6段目
  吉津次一郎(借置)、 速水多喜次郎(借置)、 大西弥十郎、 財津七左衛門(借置)、 西喜左衛門、 和田文八郎

  菅野宗保、 青地源右衛門(借置)、 杉村喜左衛門、 近藤謙之助(及、借置)、 永松庄之助(借置)
  田中甚兵衛、 長塩新兵衛、 中山惣左衛門、 田辺又助

  深野佐十郎(借置)、 伊藤梶右衛門(借置)、 飯田四郎助、 金守彦十郎
   東太郎平、 村田貞節(借置)、 清成武右衛門、 成瀬治部左衛門(借置)

  志方司馬助、 木村十左衛門
  水谷三郎平(借置)、 小島伊左衛門、 武居忠助    肥後銀行本店など

7段目
  加賀山権之允(及、添借置二)、 中山左次衛門、 古小路才馬(借置)、 真下梶之助(借置)

  岡田鼎像(及、添屋敷)、 庄林曾太郎(借置)、 斉藤又大夫(借置、添屋敷)
  長塩庄兵衛、 可児清蔵、 小川次郎右衛門(借置)、 斉藤又大夫(借置)元・阿部一族屋敷跡・現熊本放送(RKK)

  遠山三右衛門(借置)、 久保又助(借置)、 平井左次馬(借置)、 永野九一郎(及、借置)
  林兵助(及、借置)、志方軸人(及、借置)、 相良大次郎、 大浦弥次右衛門     日本銀行熊本支店など

  沢村次郎八、 小川熊太(借置)、 坂本彦兵衛(借置)、 長谷川七兵衛、 再春館 熊本市中央区通町37 


   


   

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