熊本人でも理解しかねるが、熊本弁でもない不思議な歌である。
参勤交代の行列は花畑邸を出ると城内に入り、桜の馬場から慶宅坂を登って二ノ丸に入り、北の御門を出た。まっすぐ進めば豊前街道であり、急坂の観音坂を下ると豊後街道へ至る。現在はあまり知る人も少なくなったが、熊本城周辺から京町台にかけて、多くの坂があり日常に使われていた。
この歌はその慶宅坂を主題にしている。作者は尾藤甚左衛門と伝えられる。秀吉により切腹させられた尾藤甚右衛門一成の子孫だが、人物の特定が出来ないで居る。大意は、急坂である慶宅坂で人に出会い目礼をしたら、懐の握り飯が落ちころころと転がり坂崎兵庫の家の前で止まったというのである。
相手の人に「慶宅坂 握り飯懐中して目礼すれば 握り飯ごろごろ坂崎兵庫の屋敷前」と一首を興じれば、随分字あまりではないかといわれ、どうだこれならよかろうとばかりにはぐらかしたという。慶宅坂はもちろん「けいたくざか」である。
坂崎兵庫とは坂崎家(嫡家)初代・清右衛門成政の父・兵庫助成方であろう。(兵庫助も細川家の禄を拝領しているが、何故か息清右衛門を初代としている)
上の地図は時代が新しいものだが、坂崎兵庫の家は動いていない。前方の道が慶宅坂、右下が花畑邸である。
慶宅坂の名の由来は高本慶宅の居宅があったことに由来する。
【細川家臣。医師。慶宅の父李宗閑は、朝鮮の役に南條元宅に捕えられ、豊前に移る。慶宅は忠利に召出され高本姓を拝領、十一歳にて医師を命ぜられ、十三歳の時知行百石。廿三歳で嶋原出陣、鉄炮傷をうけ、歸陣後二百石加増、側医を命ぜらる。寛文五年三月駿河島田宿にて歿。(先祖附)】