誠にかわいらしい、肥後象嵌で出来たくまモンのピンバッチである。
作者は宇土細川家のご当主である。肥後象嵌を趣味でおやりだが
かわいらしい作品をつくられて御恵贈たまわった。
まだ製作数は片手に満たないらしく、私のものは二点目だとお聞き
した。まさにレアものである。県の認可番号までとられ、商品説明の
文章が添えられていて本格的である。
将来あと何個作られる予定なのか・・・・ご気分次第である。
http://www.qscpua.or.jp/dobokuisan/kobetsu/05kumamoto/01iwane/iwane.html
最近熊本の変貌を地図で追っている。内坪井から千葉城までに至る坪井川の流路の変更や、井芹川の蛇行する流路の変更などいつの時代に行われたのか詳細を知りえないで居る。現在の県道1号線内坪井から上熊本へぬける道もかってはなく、熊本城の茶臼山と京町台は地続きで、加藤時代の絵図をみても「土取り場」とあるから、この時代に堀がつくられていたのであろう。忠利公時代に本格的に熊本城の防御のために深い堀が掘られ「新堀り」という地名が付いた。この新堀を完全に開鑿し路面電車が通り人の行き来も自由になるのは大正も末期(12年)になってからである。
上熊本駅から菊池へ至る「菊池電車」が開通した。上の写真は坪井方面から上熊本方面を写している。手前の橋が磐根橋、奥に見えるのか新堀橋である。
ブログ 徒然(とぜん)なか話 を拝見していたら貴重な写真が紹介されていた。
http://blog.goo.ne.jp/np4626/e/e29c2546b77a9f65b3b8cdc3f8659471
昔は国道3号線がこの磐根橋を通っていた。真正面に加藤神社があるため逆コの字型に迂回していた。のちに道を直線化するために、加藤神社は城内に移り現在のようになり、後には3号線も新たな道路が整備され場所を変えた。我が家の菩提寺の一つがこの近くにあるため、このあたりはどうやら覚えている。非常に懐かしい写真である。地図でご紹介しようとがんばっているが、今しばらくのご容赦を・・・・・・
BS-TBSの SONG TO SOUL で、「朝日の当る家」をやっていた。小一時間TVの前に陣取る。
http://w3.bs-tbs.co.jp/songtosoul/schedule/
http://www.youtube.com/watch?v=WyHu6XRiLWU
いささか退廃的な歌詞には、起源をイギリスに遡る歴史があるらしい。舞台となっているニューオーリンズでこの曲が日の目をみたというのも土地柄だろう。
ボブディランも歌っているが、やはりアニマルズが好きだ。英語の歌詞も割と単純でよく口ずさんでいたが・・・・すっかり忘れている。
私が30代後半位だったろうか、先輩の奥方が「朝日の当る家」となずけたスナックバーを経営していた。20坪ほどはあっただろう、小じゃれたお店だった。
お店の名前が気に入って随分通ったが、この曲からネーミングしたと聞いた。随分歌のうまい女性がいて、プロの歌手顔負けの歌唱力で歌を聞かせてくれた。ちょうどカラオケがはやりだした頃だが、残念ながらまだ洋楽は少なかった。お店でこの曲が流れることはなかったように記憶する。
この曲にしろ、スナックバーにしろ私の若かりし頃の想いでである。