津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川家家臣--山崎(定平)家

2012-10-23 17:38:15 | 徒然

 なんとなく我が家の本棚を眺めていたら、冲方丁(うぶかたとう)の「天地明察」が目に入った。いろんな賞をうけ、又映画化されるなど話題の本だが、難しい題材をよくぞこんなに面白く書けるものだと思ったものだ。
                     http://www.tenchi-meisatsu.jp/index.html
先にもご紹介したが、永青文庫では秋季展「細川家に残る江戸の天文学で、渋川春海の「天球儀」「瓊矛拾遺」などを展示している。何でこのようなものが細川家に残されたのか?細川家の奥の深さを思い知らされる。
                     http://www.eiseibunko.com/ 

渋川春海の碁の好敵手であった本因坊道策もまた細川家とはゆかりの深い家である。
本姓を山崎とするが、道策の生母が細川綱利の乳母である。その縁で長兄・山崎七右衛門の子・五郎太夫が細川家に召し出された。(400石)
先祖附を詳しく拝見していないが、七右衛門も扶持を拝領していたのではないかと思われる。最後の当主が定平である。
綱利も道策に手ほどきを受けたことかと思われるが、道策の碁の師匠は生母(綱利乳母)だとされるからこちらからかもしれない。
                     http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%9B%A0%E5%9D%8A%E9%81%93%E7%AD%96

この映画は観ていないが、主演の岡田某が再来年の大河ドラマで黒田官兵衛を演じるらしい。
ジャニーズ系のイケメンである岡田と官兵衛は似ても似つかないが、どういうドラマになるのかちょっと気にしている。
                     http://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/2000/134013.html

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またまた・・又、地震の間

2012-10-23 08:21:51 | 史料

 10月17日 またまた地震の間 を書いた。そろそろ史料のほうも尽きたかと思っていたらまた現れた。それも花畑邸の地震の間についてであり、光尚の書状であるというのも初めてである。(熊本縣史料・近世編第三 部分御舊記・法度部五十六 p456)

    (寛永二拾年)
         猶々符を切候所又新敷付候所ハ其元より差図ニ書付差返候間
         可得其意候已上
      花畑地震間就作業奥へ之廊下口ニ我等符を付置候廊下仕直候ニ付
      而右之符切申度候通作事奉行共申之由ニて絵図を差越見届尤候其
      符其方両人見届切可申候就其只今符二ツ遣候間内壱ツハ今まて符
      付置候廊下之奥之つまりニ付置可申候今壱ツ之符ハ自然急なる儀ニ
      切候ハゝ不叶儀も候か又ハ符ニさびなと付候時之為ニ遣候此符不入
      候ハゝ其方両人手前ニ預置我等帰国之上可差上候謹言

                              肥
           十月廿日              光尚 御判
                         西郡要人佐殿
                         浅山修理亮殿 

花畑邸の地震の間については 花畑邸・地震之間  花畑邸・地震之間 其の二 で、絵図をご紹介した。
上記書状によると新築の作業であるのか、又は建て増しや繕いの作業であるのかわからないが、絵図にある地震の間であることは間違いなさそうである。
忠利の地震の間に対する関心からして、この地震の間は忠利によって建てられたと私は考えている。その後何らかの手が加えられ上記図面の如くに完成したのではないだろうか。更なる史料が出てくることを楽しみにしている。 


 

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