津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

mino阿弥氏コメント・・「加藤氏」その二

2012-10-16 13:42:59 | 史料

mino阿弥さまから引き続き「加藤氏」についてのコメントをいただいた。御礼申し上げ、ご紹介申し上げる。


「美濃国諸家系譜」 (東大史料編纂所蔵)から

「美濃国諸家系譜」には、加藤氏之家譜と加藤清正系図の2本あります。加藤清正系図は、光高から書かれていますが当初からつなぎ合わせますと下記の系図となります。(加藤光泰・貞泰伊予大洲藩と同祖になります)
藤原利仁-叙用-吉信-重光(加藤次郎・兵衛尉・豊後守・従五位下・加藤氏祖)-貞正(紋蛇の目藤之丸)-正重(忠正)-景通-景清-景信-景員-景廉(加藤次・検非違使大夫・伊勢守・従五位下)-景朝-景村(加藤七郎・美濃国恵那郡岩村住)-景光-光高(美濃国恵那郡福島村住人・加藤源太・伊勢守・一説加藤伊勢守長頼三男)-光虎(或いは三虎・加藤三郎四郎)-虎時(加藤宮内少輔・二条関白太政大臣良基公に仕)-義時(加藤伊勢守・二条関白左大臣師良公に仕)-正時-正吉(加藤四郎太夫・美濃国宮䑓又は加茂郡住)-頼方(明智修理大夫頼常四男・桔梗・蛇の目紋・尾州愛知郡中村住)-清方(母は加藤正吉女・尾州丹羽郡篠木辺に住)-清信(尾州丹羽郡犬山城に住・斎藤道三に属す・天文三年犬山に於いて織田信秀と戦い討死)-清忠(尾州愛知郡中村住・織田大和守信武に仕)-清正(加藤虎之助)-忠廣-光正
ご参考まで。

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追伸
二条良基の側室又は後室は、土岐頼康(美濃・尾張・伊勢の三国守護)の娘です。
土岐頼康の娘は、良基の次男師嗣と三男経嗣の母であり、三男経嗣が一条家に養子となっています。
経嗣の次男が、関白一条兼良(美濃への紀行文藤河之記著者)であり、二条良基の孫で土岐頼康の曾孫となります。
当時の状況を考慮すれば、加藤氏の先祖が二条家に仕えていたとしても、まったく荒唐無稽なことではないと思います。
土岐頼康は、後光厳天皇、足利義詮等を南朝勢力から避難させるため美濃に行宮を置いています。
行宮となった瑞巌寺では現在でも二条家により連歌の会を催されています。
また、土岐頼康は守護職を下記のように務めています。
美濃守護(1342-87)を46年間
尾張守護(1351-87)を37年間
伊勢守護(1361-66、79-87)を16年間

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初孫の死

2012-10-16 09:03:00 | 史料

 光尚の嫡男・某は寛永十三年十月二日に生まれ、十二月十二日亡くなっている。生母禰々も産後の肥立ちが悪く、十月十四日に死去している。
この事に関し、忠利や三齋の直接的な思いを伝える史料を知らないでいたが、ようやく忠利の心中を吐露する書状を見つけた。

    熊本縣史料 近世編第二「部分御舊記二」の御書附并御書部・廿一(p179)

       以早打申候孫之事肝をつふし候 肥後(光尚)ニ心得可申候
       打續加様之事稀成事にて候 此上者何ほとも祝候て可然候
       此方も其分ニ候 頓而祝候様ニ人を下可申候 何とそ肥後ニ
       たゝり候去年ハ年と存候間此春より祝候事せんにて候 又奥
       のつき/\の女の事も我等下候て可申付と右ニも申候 左様
       ニ心得申候 替事候ハゝ跡より可申候 次ニ何もより飛脚なと
       参候事可有之候 度々承迷惑かり申候間必人も不参様ニと
       随分心得可申候 謹言

          (寛永十四年)正月四日    越 忠利御判
                小笠原備前殿
                松野織部殿
                町三右衛門殿
                横山助進殿
                浅山修理殿


三齋の書状は知ることが出来ないが、禰々の産後の状況を知らされていなかった三齋は、その死を知って激怒し、お付の宮本次郎大夫夫妻と、三齋江戸屋敷の留守居・町源右衛門と神戸喜右衛門両名は扶持を召し放たれた。三齋に知らせなかったのは光尚の配慮によるものとされる。

その後忠利は光尚の継室について行動を起こしているが、いろいろ問題を抱え難儀する中、嶋原一揆の勃発によりこの話は頓挫している。
                 光尚の再婚話・・書状-1  
                光尚の再婚話・・書状-2  
                光尚の再婚話・・書状-3
                光尚の再婚話・・書状4 
                光尚の再婚話・・書状-5

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pdf 細川家略系図

2012-10-16 07:27:44 | 史料

 以前細川家略系図を作成したことを申し上げた。熊本史談会の皆様には配布をしたところだが、どこから伝え聞かれたのか欲しい旨のご要望があったので、pdfにてご提供しようと思う。A3版の原稿だが私はA2版に拡大コピーして使用している。
随分校正をしたつもりだが、100%にはいたっていないように思う。その点はご承知おきいただきたい。その故をもって無断転用はお断り申し上げる。尚製作に当っては、熊本藩年表稿所収「細川家系図」、光永光煕氏編「平成宇土細川家系譜」、その他私が所有する諸資料などを参考にした。

                                                     http://www.shinshindoh.com/pdf/hosokawa_tree02.pdf

                     

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