津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

尾藤家の桔梗紋

2012-10-14 13:27:00 | 徒然

先に美濃源氏フォーラムの mino阿弥さんの 加藤家「桔梗紋」について をご紹介したが、思いがけない反響に驚いている。

いわく、「加藤家の桔梗紋は尾藤家の家紋ではない」と言うのが、大方のご意見である。其の根拠はまさしく mino阿弥さんが示された土岐氏明智家に遡る加藤家の出自であり、いまひとつは尾藤家が桔梗紋を使用したという事実が見受けられないという二点である。

一方、レファレンス協同データベースにある、香川県立図書館への問い合わせ「旧讃岐領主尾藤知宣の改易の際、豊臣秀吉の命により、尾藤家の武具などが加藤清正に渡ったとされるが本当か。また、尾藤家の家紋は桔梗紋か。」の答も興味深い。
               http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000067291
そして加藤家が使っているいまひとつの紋「折墨紋」も又、尾藤家のものとしている点をどう考えるかである。

明智氏の分流とされる加藤氏が、明智の家紋と尾藤氏の家紋が同じであったため、尾藤氏の武具・調度品などを受け入れたとは考えられないか、いずれにしろ謎の深い話ではある。 

私自身が「加藤家の桔梗紋は尾藤家からそのまま受け継いだもの」と思い込み、ブログでもそう書いてきた。修正をしなければならないだろうかとも思うが、これは冷静に考えなければならないだろうと思っている。
清正公については先人たちが、いろいろな書物を上梓しておられる。講談めいた話が史実の如く語られ現在に至っているものも多い。
加藤家の人間関係については、水野勝之・福田正秀両氏の研究によって、真実があきらかになりつつある。この家紋の問題も決着がつく日が訪れるであろう。


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高見武之家の明治 (四・了)

2012-10-14 10:30:47 | 史料

                                一、同(明治)廿二年三月十三日
                                  三位様御墓参として東京御発途東海道御通行

                                  神戸より御乗艦小倉御上陸之旨御報知有之候同月
                                  廿七日山鹿より御着被極候ニ付毎之通御滞縣中御附
                                  家従之場相勤候様被 仰付候ニ付日勤諸御用相勤候内
                                  戸下温泉御湯治中も詰切相勤申候御帰殿後不相変
                                  相勤居申候五月二日御帰京として爰許御発途被遊候
                                  ニ付御臺所向取纒メ當前之御奉公相勤申候六月
                                  十八日勤労として金子拾圓外ニ月俸割合同貮拾
                                  四圓五拾銭下約候其後當前之御奉公相勤居候内

                                  當春来 御帰縣中出精相勤且此節ニ■思召之旨
                                  有之別段を以金子拾円別段七圓五拾銭下約候其後
                                  當前之御奉公相勤申候
                                一、明治廿二年五月十三日御婚禮御式を為在候得共下地御滞
                                  留として御日喜越被為在候御事ニ付諸御道具御使
                                  者を以御送り其外御手数向ニ而御取替ハ表向御當日より
                                  右御用懸面々何連も罷出候處萬事御無御滞御舅入も
                                  目出度被為■諸も使者引続相勤候

                                一、右御婚禮被為済候ニ付今般
                                  嘉壽子様御婚禮首尾能被為済候ニ付被遊
                                  御祝葉櫻御紋附七々子袷御羽織一金子拾圓
                                  下賜候其後當前之御奉公相勤申候明治二十三年
                                  三月七日
                                  三位様御帰縣として東京御發途之電報至来
                                  付而兼御雇入人負御臺所向御用之衆等夫々御整候処
                                  同廿五日長崎御立山鹿御昼同所前十時御発車ニ而

                                  后三時過被遊御着邸候右ニ付御供松崎廸・相賀壽雄
                                  御滞縣中御附家従之場相勤候様被 仰付諸御用
                                  壱人ニ而相勤居申候
                                  奥方様御跡東京御發途伊勢御参宮・・・・・・・・・・・・
                                                             寄等ニ而四月廿九日御着縣就而は
                                  御二所様御用相勤候内戸下温泉御同道ニ而御湯治
                                  夫より阿蘇殿江御初入等被為在御供申上御帰邸後
                                  當前御奉公相勤申候同年六月十三日

                                  御二方様御同行ニ而御上京として御発途同十九日
                                  御着京之電報参着同廿日
                                  御二所様下縣中出精相勤候ニ付旨を以重拾弐圓五拾銭
                                  月俸遠目弐拾四円五拾銭下約候
                                一、御側御女中春竹村ニ自宅求相成候ニ付同廿六日移転致   護久側室・深水氏女・縫
                                  御居間御守衛として御居間次御間住居被              護成・嘉壽・宣・志津生母
                                  仰付家族共引越居住いたし候
                                一、同年八月

                                  御二所様御滞縣格別骨折出精相勤候ニ付御慰労
                                  いたして重拾圓別段同拾圓下約候
                                一、同廿三年十月
                                  嘉壽子様御凶変ニ付同六日夜半より東京表             男爵細川興生室・10:06死去(22歳)
                                  御方々様上申として早打ニ而差立十一日着京御容
                                  體委細言上御用相済十一月一日着縣仕候

 

                                                   了 

                                   

 

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我が家検索リスト・3 (68-3 熊本所分絵図 高田原之絵図)

2012-10-14 10:29:58 | 地図散歩

          左上「厩」とあるのが現在の市役所の位置である。地図上部が現在路面電車が通る、熊本を代表する道筋である。
          図面中央から左側、有吉市左衛門屋敷から真下に伸びる道が、下通りアーケード街である。

1段目
   有吉市左衛門
   宇野貞雄、 堀内三■

   林九八郎、 愛敬四郎助、 白石清兵衛、 前田善之允、 森脇金次郎、 山戸仙蔵、 武田一蔵、 児玉太郎左衛門、 落合弥次兵衛

   村上善九郎、 古庄八太、 清水数馬、 有吉市左衛門、 赤星典蔵、 松本杢十郎、 野村左源太、 宮村庄之丞、 井上加左衛門、 尾藤金左衛門、
                                                                                          真藤義人
   連政寺 野田弥三左衛門、 小野又兵衛、 吉川伝之允、 木原嘉四郎、 柏木文右衛門、 城允、 永田八兵衛、 三野喜右衛門、 坂本仁兵衛、
                                                      三池尉右衛門、 水野源助、 入江平之允(鶴屋百貨店一帯)

   山崎伝右衛門、 平野八十郎、 沢村新蔵、 平野丹右衛門、 隈部彦四郎、 

2段目
   益田弥一右衛門、 末松勘右衛門、 藪作右衛門、 高琳寺、 長尾安右衛門、 磯田十郎右衛門、 塩山隠岐、 建山林右衛門
   松村新三郎 

   奥村次郎右衛門、 岡本嘉津次、 田中鋭之助、 松尾三郎右衛門、 高橋壽彦、 吉岡甚之允、 千原熊之助、 中村新太郎、 小野太左衛門
                                                                                      井上才七

   小笠原平馬、 戸田儀兵衛、 野田長助、 有吉市左衛門、 飯田熊之助、 児玉喜一郎、 和田金左衛門

   中西喜一郎、 隈部左内、 郡勘右衛門、 宇田四右衛門、 緒方藤三郎、 杉角左衛門、 大塚権三郎、 中島伝九郎、 益田団之進
   上田八左衛門、 河添弥右衛門、 高田武助

   井戸勘兵衛、 丸山運助、 芦田七右衛門、 菅野左一郎、 馬渕慎助、 津村兵八、 武田作左衛門
   高野嘉平衛、 大野弥八郎、 今朝洞庄■、 大洞五右衛門

   浅井新九郎、 吉見半之丞、 志方逸次、 粟津忠太郎、 
   松崎次郎、 後藤吉右衛門、 森山章之允、 木村次右衛門

西側田畑沿い縦列(左列)
   坂梨曾太郎、 田中臘五、 藤木伝作、 中島嘉■、 石井懋助、 岡本久助、 矢津直助、 清田新兵衛、 駒井弥三次、 山田十郎
   大野伝之助、 相良又助、 多田角十郎、 牧杢左衛門、 上野貞八、 井出九蔵、 金津助之允、 上野四郎作、 堀次三郎、 小橋恒蔵、 牧文四郎

    同上     (右列・下通り左側)
   河喜多大平、 今井勘兵衛、 平川駿太、 石橋陽太郎、 甲斐多喜次、 武藤長兵衛、 北村甚十郎、 間部源左衛門、
   久野玄敬、 下田格助、 古閑作左衛門、 東次郎左衛門

三段目(下通り右側)
   村井直之允、 徳永所右衛門、 田中多右衛門、 宮崎円次、 瀬良章之助、 岩間清次、 塩山唯之丞、 大畑角兵衛
   佐藤仙右衛門、 宮崎円次、 池辺久助、 森川又助、  

四段目(下通り右側)
   八木田新右衛門、 久野万之助、 吉田新次、 馬場彦左衛門、 井川弥次兵衛、 松見太郎八、 財津弥太郎、 渋谷源左衛門、 

五段目(下通り右側)
   右田儀三、 斉藤平右衛門、 河田尉助、 安養寺・西岸寺、 奥田章右衛門、 倉重五左衛門、 永原甚助、 長嶺範助 

  

    

    

    

    

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