津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■お安く読む・文春文庫「考証要集 秘伝! NHK時代考証資料」

2014-03-13 12:58:59 | イベント
考証要集 秘伝! NHK時代考証資料 (文春文庫)
 
            文藝春秋


かっては時代考証といえば稲垣史生氏の名前がすぐ浮かんだものだ。そのペンネームが「史に生きる」とくると、ただならぬものを感じる。
現在氏のエッセイを二冊ほど買い込んで読んでいるが、時代考証の面白さに感じ入っている。

さてこちらの本は、多くのドラマを世に送っているNHKのお話・・・『NHK番組の時代考証を手がける著者が、身内の恥をかえりみずに指摘する「間違いだらけの歴史常識」。目からウロコの薀蓄が満載』 ちょっと面白そう・・・・・・・ 

内容(「BOOK」データベースより)

織田信長がいくら南蛮かぶれでも、望遠鏡を使わせたらドラマは台無し。「花街」を「はなまち」と読ませたり、江戸っ子に鍋料理を食わせようものなら、番組の信用は大失墜。斯様に時代考証は難しい。テレビ制作現場のエピソードをひきながら、史実の勘違い、思い込み、単なる誤解を一刀両断。目からウロコの歴史ネタが満載です。

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               そんな中こんな記事が出てきました。ドラマ作りの大変さが判りますね~~~

              「軍師官兵衛」で本尊取り違えミス 3月2日放映シーン  産経新聞 3月13日(木)14時12分配信

 

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■古今肥後見聞雑記から -- 熊本という呼称

2014-03-13 08:12:30 | 史料

「くまもん」がすっかり有名になってしまって、昔は「熊」が多くいたのではないかというイメージが有るのではないのか・・・・そうであれば心外である。

元々は隈本、隈のつくりの部分「畏」は、女性の手紙の最後にかく「かしこ」に通じている「かしこまる」の意をもつ。
加藤清正がその「畏まる」という文字が国府の呼称に有るのは宜しくないとして、「熊」の文字を宛てたのだという。
清正公は天正16年に肥後半國を拝領して入国した。上の話はそんな時期の古い話と思っていたら、意外と新しい話であることが以下の史料で判る。 

 一、熊本の文字の事古へハ隈本と書来りし由 隈府・隈本・隈庄と並へり加藤清正公城築の砌隈の字阝ヘンニ畏ルと書ハ
    國の府トス所に畏の文字有を禁忌ナリトテ猛熊の熊の字にかへ玉ふ 其觸状写左に出す
      一筆申觸候隈本之文字事今度御城出来候付而御
      改候而熊本と御書直被成候間此已後其旨可被心得候
      此段御領之中不洩様可被申觸候 恐々謹言
         慶長十二○月七日   加藤○○○
   右○を用候ハ文字不分明なる印也 右之觸状の字ハ乃美氏か舊記に見へたり 然とも紙甚タ古く文字消滅せる
   所ハ多く分りかたく漸存せるを拾ひ採て是を記

文中にもあるが、隈本の他に菊池の隈府(わいふ)、旧城南町の隈庄(くまの庄)と旧肥後国の要衝の地に「隈」の字が残るのも不思議ではある。
何に畏まっていたのだろうか・・・・ そして後の肥後人の幼少期の名前にやたらと「熊」の字が用いられているのも御愛嬌である。 

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