先に quiyota xichisuque(清田七助) を書いた。熊本歴史学研究会の2013年7月発行の「熊本歴研 史叢 第17号」に掲載された、清田石見が大坂夏の陣における一番鑓を賞されて忠興公から贈られた具足である。当ブログで是非ご紹介したく思い、筆者の清田泰興氏にお手紙を差し上げこの度掲載の快諾をいただいた。厚く御礼を申し上げたい。
誠に見事な眼を見張るようなデザインである。忠興公がお召しになっていたものに手を入れられて、大坂夏の陣の功労に対して贈られたものであろう。
当時としてはめずらしいquiyota xichisuque の文字がデザインされ、兜には清田家の家紋・大伴一族の「杏葉紋」が見事に配置されてすばらしい。
拝見した人たちはさぞかし驚き入ったことであろう。現物は享保年間に焼失したというが、残念の極みである。
(尚この写真は花岡興輝先生からのご提供であり、その謂れは清田家の研究者であられる狩野輝巳氏ご所蔵の佐方文書による。)
清田家の御先祖様については幾度となくこのブログでもご紹介してきた。この度資料も頂戴し、大友家と深いつながりがある清田家の家系などを委しくお教えいただいた。当方でかねがね考えていたものとほぼ合致するものであり、下にその略系図を記しておく。
清田家は細川家との係わりが濃密で、そのDNAは忠興と側室・圓通院(清田鎮乗女・幾知)の子、立孝(宇土支藩祖)・興孝(刑部家祖)の両家に現在も脈々と受け継がれている。
また細川宗家も齊茲公・齊護公が共に宇土家から入られているから、同様のDNAが受け継がれている。
加えて言うならば現当主・護煕様の母方の御実家・近衛家もまた、文麿公夫人千代子様は子爵毛利高範の二女であり、この毛利高範が宇土細川家の出身(養子)である。
大友宗麟-----●(ジェスタ)
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清田掃部鎮忠----+--鎮隅
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+--五郎大夫
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| ガラシャ (1) (8) (10)
| ∥-------------忠利・・・・・・・・・・・・・・・・・・齊茲・・・・齊護
| 細川忠興 ↑ ↑
| ∥ +--立孝(宇土細川家)・・・・・・立禮・・・・立政
| ∥--------|
| ∥ +--興孝(刑部家)
| +--幾知(圓通院)
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| | 石見守
+--主計鎮乗----+--七助乗栄 (室・忠興妹伊与の娘)
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+--与三右衛門(刑部家附)
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+--左近右衛門
氏は元日本航空の主席パイロットで日本一の滞空時間記録を持っておられる。今は現役を引退され、ご自宅の横浜と、熊本のご実家(嘯月閣)を行き来しておられる。
そのご実家は熊本市指定の有形文化財に指定されており、貴重な古文書十点も同様の指定を受けている。
清田家住宅・熊本市の文化財
また熊本日日新聞の 生活情報紙「あれんじ」公式サイトでは、清田家並びに泰興氏について詳しく紹介している。
春・秋に見学が可能との事であるから、ぜひともお尋ねをいただきたい。