今日の読売新聞は「小林一茶、愛妻家の証明 自筆の手紙見つかる」と報道している。
江戸時代の俳人・小林一茶(1763~1827年)が妻に宛てて書いた自筆の手紙など、これまで未確認だった資料45点が京都市内で見つかったと、長野県信濃町の一茶記念館が19日、発表した。手紙は自宅にいる病気がちな妻・きくを気遣う内容で、鑑定した矢羽勝幸・二松学舎大客員教授(68)は「愛妻家だった一茶の優しさがうかがえる」と話している。一茶は、出身の柏原村(現在の信濃町)に戻り、52歳の時に24歳年下のきくと結婚した。3男1女をもうけたが、いずれも幼い頃に亡くなり、きくも結婚から9年後に病死した。妻への手紙の現物が確認されたのは2例目。縦約15センチ、横約32センチの和紙で、宛先は「柏原 留主様」となっている。長野市の善光寺周辺にいた一茶は、9月6日から10日まで長野市の門下生方、11日以降は小布施町の寺に滞在するとして、「(あなたが)もし病気にでもなったら、寺に使いをよこしてほしい」と書いている。これまでに見つかっている日記から、1817年か20年のものとみられる。中村敦子学芸員は「門下生への手紙と違って崩した字が少なく、読みやすい。妻への思いやりがうかがえる」と分析。「宛名に『きく』と書いていないところに、一茶のちゃめっ気が感じられる」と話す。 (2014年3月19日15時39分 読売新聞)
私は俳句つながりで、田辺聖子の小説「ひねくれ一茶」を所蔵している。548頁に及ぶ大作だが、田辺氏の洒脱さが文面に満ちて、一茶の人となりはこんな物であったろうと伺わせる佳作である。きゃんきゃら(お転婆)娘・おきくとの出合や、その死に至る貧しくも豊かな時の流れなど一茶の喜びや悲しみを堪能したものだった。
この手紙をじっくり見て見たいものである。