津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■小林一茶、愛妻家の証明…自筆の手紙見つかる

2014-03-19 16:39:42 | 新聞

今日の読売新聞は「小林一茶、愛妻家の証明 自筆の手紙見つかる」と報道している。

江戸時代の俳人・小林一茶(1763~1827年)が妻に宛てて書いた自筆の手紙など、これまで未確認だった資料45点が京都市内で見つかったと、長野県信濃町の一茶記念館が19日、発表した。手紙は自宅にいる病気がちな妻・きくを気遣う内容で、鑑定した矢羽勝幸・二松学舎大客員教授(68)は「愛妻家だった一茶の優しさがうかがえる」と話している。一茶は、出身の柏原村(現在の信濃町)に戻り、52歳の時に24歳年下のきくと結婚した。3男1女をもうけたが、いずれも幼い頃に亡くなり、きくも結婚から9年後に病死した。妻への手紙の現物が確認されたのは2例目。縦約15センチ、横約32センチの和紙で、宛先は「柏原 留主様」となっている。長野市の善光寺周辺にいた一茶は、9月6日から10日まで長野市の門下生方、11日以降は小布施町の寺に滞在するとして、「(あなたが)もし病気にでもなったら、寺に使いをよこしてほしい」と書いている。これまでに見つかっている日記から、1817年か20年のものとみられる。中村敦子学芸員は「門下生への手紙と違って崩した字が少なく、読みやすい。妻への思いやりがうかがえる」と分析。「宛名に『きく』と書いていないところに、一茶のちゃめっ気が感じられる」と話す。                      (2014年3月19日15時39分  読売新聞)

私は俳句つながりで、田辺聖子の小説「ひねくれ一茶」を所蔵している。548頁に及ぶ大作だが、田辺氏の洒脱さが文面に満ちて、一茶の人となりはこんな物であったろうと伺わせる佳作である。きゃんきゃら(お転婆)娘・おきくとの出合や、その死に至る貧しくも豊かな時の流れなど一茶の喜びや悲しみを堪能したものだった。
この手紙をじっくり見て見たいものである。 

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■軍陣之作法少々聞書(ニ)

2014-03-19 08:05:53 | 史料

一、大将之御出立御為衆未革胴服革袴刀脇さし太刀此三■也 床木ニかゝり太刀計三寸程御むき出しニ而
   得入無道(上)道則成就佛身(得入無上道 即成就仏心)と三偏唱尻日ニ而被成御覧中其侭かゝへて居て右之
   唱を遊し終たる時太刀をはたと御さし候 其時一度ニ頭を取て我左の方へ人立捨る也
   大将床木にかゝり給ふ様左の足をふみ出し其ニ應して右之足もふみ出し給ふ也 第一日を撰也 時も入也
   敵の方へ相生之日せぬ事也 こくしたる日吉 又中なおり和睦之時ハ相生之日吉と云也 

       相生(そうしょう) 五行思想の相生参照のこと

   我取たる首を主人江御目に懸様之事たふさを取て懸御目也 心持之事右同前也 是ハなま頭之事也
   此字寿頭と書也
一、當座打捕たる頭ハ右の手ニ刀を持 左之手ニ而たぶさを取刀のひし(斐紙・刀のぬぐい紙か)にのせて懸御目也
   但人ニより余りいかつ(厳つ)
に見へ候得は寿頭の如くにして掛御目ても吉
一、首を鞍に付候様躰之事塩手の緒ニたぶさを結付計也
一、首こしらへと有時之事 ちかやニ水を付てあらふ也
一、首の目の出たるを御目ニかけ様有之言説無子細也 直ニ懸御目ニさるゟ之分別之説事也
一、出陳之時之酌
之取様の事主人ハ床机懸りて御座候 御前へ御くきやうの上ニ小角ニ熨斗五本おき向の左ニ
   置て同かち栗七ツ右之方に置也 前之右に昆布五本置也 左之方ニ土器三ツ置て置也 御前ニ近ク寄て両之
   膝を立なからてう子(銚子)ニ而御酒を入候也 御盃一ツ/\ニ而肴を参候なり
一、一番にのしを大キ成方よりそひ/\はひと参候也 盃に酒を入ル そひ/\はひて入也 扨其後かち栗七ツ
   有を中成を一ツ参也 其後昆布を中成を一切レ参候也 但のしのことく参納候也 酒の入様何も同前也
   但参納之盃ニそひ/\とはひとの間ニ加申也 委細口傳有少もしさる足を嫌ツゟ初ゟくきやうのきはへ寄候也
   立時もつと立候也 かへハ酌の右に居たる口傳有之

            そひ/\はひ(鼠尾/\馬尾) お酌(三献)の仕方・「鼠の尾の如く細く二度、馬の尾の如く太く一度」注ぐ

  

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