津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■ある書状から 葡萄酒?好きの忠利公

2014-04-01 11:35:22 | 徒然

 忠利の榊原飛騨守(職直)宛ての書状であるが、いつのころのものか判らない。閏七月十九日とあるだけである。熊本入国後であることは文中から判ってはいる。
実は忠利は随分と葡萄酒がお好きらしく、豊前時代に上田某に葡萄酒を作らせている。この書状にも葡萄酒に関することが記されている。

              ふとう酒ニて候哉南蛮之樽共ニ被下候 扨も/\誘誠之南蛮物にて候酒を給候ヘハふとう酒ニても無之候
              終ニたへ不覚味にて是もふとう酒ニて御座候哉必御返事ニ待入候

これは職直が長崎奉行を勤めていた頃贈られたお酒についての記述であろう。彼の長崎在住は寛永11年(1634)から18年(1641)とされる。
「樽に入った南蛮の酒だが、どうやら葡萄酒ではないらしい。とうとうなくなってしまって味さえ覚えていない。これも葡萄酒なのだろうか。必ず返事を頂戴したい」というのである。 

全体は長い文章の書状なのだが、文中に在る人物の移封に関する記述があった。時代を特定するヒントになった。

              丹波亀山之主税殿豊後主殿殿跡弐万石にて御越候

いろいろ調べてみると丹波亀山の主税殿とは、松平忠昭であることが判る。寛永12年(1635)に豊後中都留へ移封されている。

つまりは寛永十二年の閏七月十九日に、長崎奉行榊原職直に宛てた書状であることが判る。
一件落着したところで、過去に書いた忠利の葡萄酒に関する記事を再掲しておく。
              細川小倉藩版ボジョレー・ヌーヴォー 

          

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする