津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■草枕讃歌(ニ)

2014-04-23 10:53:37 | 人物

 肥後金春流中村家の当主・中村勝氏の「草枕」にかける想いは沸騰して、ついに馬子唄の作詞まで手掛けられた。
特段決まった歌手が現在いるわけではないが、広く皆さんに伝われば幸いである。

       

                         夏目漱石 「草枕」より
                         草枕()馬子唄    2013.12.7、8.
                                             作詞 金春流 中村勝
                            一、 雲か山かと 眺めた峰の
                                    峠の茶屋には 雨が降る

                            二、 青馬(あお)の鞍には 花嫁御寮
                                    峠の茶屋には 桜(はな)が散る

                            三、 霞む岩戸の 観音さまよ
                                    茶屋のおばばも 手をあわす

                            四、 沈む夕日に お宿は近い
                                    青馬(あお)のひずめも 軽く鳴る

                            五、 煙る湯殿に 天女のはだえ
                                    迦陵頻迦(かりょうびんか)の 声がする

                            六、 光る谷間に 香がたかい
                                    蜜柑は 河内日本一

                            七、 丘の向こうに 白帆が見える
                                    池のほとりの 椿(はな)も散る
 
                            八、 月のみ寺に 小鳩が鳴くよ
                                    白蓮(はな)の他には 松ばかり
  
                            九、 木瓜(ぼけ)の花咲き 陽炎もえて
                                    草を枕に 夢を見る

                            十、 すべる舟路は 柳の並木
                                    糸繰る乙女の 目に涙

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                    付けたし 古今肥後見聞雑記から -- 小天・野出あたりの事

 

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■江戸の落書と江月宗玩

2014-04-23 05:51:17 | 人物

寛永六年八月七日付の貴田権内宛て忠利書状は、いわゆる紫衣事件の状況を三齋に報告している。(熊本県史料・近世編二 p12)

    一、長老衆無官ニ被成候儀紫野ハ于今無官之通御座候 妙心寺同前又妙心寺単傳と申長老今壹人伊豆之大嶋
      へ被遣候 紫野沢庵・玉室之儀先書ニ申上候ことく是も東へ被遣候 江月之儀者同罪にて才覚能候哉于今無事
      ニて被居候 諸人何かと申候事 

寛永六年九月十三日付の貴田権内宛て忠利書状は、江月に対する江戸庶民の反応に触れている。(同 p12)
江月とは臨済宗の僧江月宗玩(こうげつそうがん)のことである。

    一、江月かけ物江戸中やふり捨申候 又大橋ニいかにも結構ニ落書を立申候書様ハかけてわろき物とはし書を仕
           一 ふるすたれ 一 ふるけた 一 やせ馬 一 ふるのれん かやうの事を数々書 一のおくニ江月之墨跡
          と留申候 江月ハ被上候事も不罷成にか/\敷躰ニて被居候 此上ハ早々紫野へ被歸寺中被申合沢庵・
          玉室・新長老衆位之儀御侘言ニ被下候ハゝせめてにて御座候ハんなとゝ申候間若左様ニ成候ハゝ紫野
          もつゝき可申と申儀ニ御座候(以下略)

これに対する九月二十九日付の三齋の返事(同 p59)
     
    一、江月掛物江戸中破捨又大橋ニ落書立申候由書様迄具承候 未此分ニてハ腹ノ為不具書様と存候笑候事
    一、如此ニ候共江月ハ何共被存間敷存候 恥をかきつけたる人にて候間存ル様ニ者有間敷事 

江月もこの事件に連座したが一人許されており、その事が江戸の人々の反感を買っていることが伺える。
連座を免れた原因は何なのか勉強をせずばなるまい。 

江月宗玩 こうげつ-そうがん 
1574-1643 織豊-江戸時代前期の僧。天正2年11月21日生まれ。津田宗及の子。臨済宗、春屋宗園(しゅんおく-そうえん)の法をつぐ。慶長15年京都大徳寺、のち博多崇福寺などの住持となる。大徳寺の復興につとめ,同寺内に孤篷庵などをひらく。茶道・書画・墨跡鑑定にすぐれていた。紫衣事件に連座したがひとりゆるされた。寛永20年10月1日死去。70歳。和泉堺出身。号は欠伸子,赫々子など。諡号(しごう)は大梁興宗禅師。

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十月廿四日付忠利から貴田権内に宛てた書状には、紫衣事件後の金地院(崇伝)のことを皮肉った落書(?)を伝えている。
     一、金地院へ之御返事相届申候 金地院之儀江戸中名をつけ候而山号・院号・寺号本の名をハ不申候
       大欲山氣根院せんせう(僭上)寺悪國師如此ニ申候何篇笑止なる儀ニ御座候事 


コメント (1)
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