上田久兵衛の少年時代(初彦)の事にふれた、鈴木喬先生の「日記に見る時習館学生の日常生活」を昨日は終日を懸けて読んだ。
天保九年数え年九歳で時習館に入り、天保十五年までの初彦の行動を、彼の日記をひもときながらこの巻は書かれている。
最期の部分はまさに実学党の出現で、時習館の体制が大揺れする時代である。その後の初彦の行動は巻を改めて先生の御著が数巻がある。
少年時代の日記は、鈴木先生のご指摘にもあるように内容は実に他愛ない。ただその日の行動を書き連ねている。
もともと能や謡が好きであったらしいが、それは桜間家の右陣や茂八なる人物との交流がよりそうさせたらしい。どこかで能が催されると聞きつけると欠かさず出かけている。
その能番組などもちゃんと記録している。弓八幡・田村・遊谷(熊野カ)・竹生嶋・放下僧・羽衣・道成寺・高砂・船橋・八島・千□・横川・邯鄲・小鍛治などである。その他謡番組や狂言番組なども記載している。
じつは前日、富安風生の句集を眺めていたら「こときれてなお邯鄲のうすみどり」という句を目にしていたのだ。連日の邯鄲である。
この句に関する解説があるが、「鳴き声は虫の王様」という。私はこの邯鄲という名の虫を知らないのだが、熊本では別の呼び方をしているのではなかろうか。
写真映像でみるとなんだか見たことのある姿だが、あいにく何と読んでいたのか思い出せないでいる。
風生はこの虫が大変お好きらしく多くの作があるのだという。
邯鄲の音は湖上にも満ちにけり
邯鄲の一縷の声を寝惜しみぬ
美しき死を邯鄲に教えらる
邯鄲という言葉から派生した言葉も多いが死語の範疇に有るのではないか。大切にしたい言葉だし、虫の良い鳴き声も聞いてみたいし、機会があればお能も拝見したいものだ。邯鄲の枕で虫の声を楽しむなどという風流は、もう体験することのできない時代である。