寛永八年のものと思われる閏十月廿八日付、三齋宛て(実は貴田半左衛門宛て)忠利書状に、なんとも解せない一文がある。
(熊本県史料・近世編一 p574)
爰元于今きりしたん御穿鑿又すりの大将御坐候而方々
大名衆・年寄衆之内ニも数多御座候てとらへ申候此大将
ハ松土之内鉄炮頭仕候而二千石知行取候もの扶持を
被放牢人ニて居候ものと申候我等内なとに者一人も同類
無御座候
この「すり」とは単純に「掏摸」とは解釈できない気がして、いろいろ調べているがはきとしない。キリシタンに関係する言葉なのか・・・?
松土とは松平土佐守すなわち土佐の山内氏を差していると思われるが、このような話を御存知寄りの方が居られましたら、ご教示いただきたい。