かたくりを訪ぬる 里の棒踊り 津々
今日の熊本日日新聞は、目丸山にカタクリの花が見ごろになっていることを報じている。登山客によって踏まれて減少していると書いているが、この記事をみて出かける人も有ろうし、メディアの報道も痛しかゆしではある。私は30年ほども前に成ろうか、出かけたものの少々遅くて見ることは叶わなかった。
このころはそう人出もないように地区の人達は仰っていた。
この目丸の地は阿蘇家ゆかりの地である。秀吉の手に寄り十三歳で誅伐された阿蘇惟光とその弟・惟善は、一時期ここ目丸に逃げ込みこの地で過ごしたとされる。地域にのこる棒踊りは惟光たちが里人に教えた棒術の名残だといわれる。惟善は命をたすけられ、加藤清正に寄り子孫が阿蘇宮の宮司家として存続されるようになると、目丸の人々は大変歓び清正を崇めたという。
目丸に旅芝居などが来ると、演目に拘らず清正を登場させ上手から下手へ歩かせると、観衆はヤンヤの声をあげたという。
そんなことからこの地区では、何事にも顔を出す人の事を「目丸のせいしょこさん(清正公様)」と呼ぶのだという。良い話ではないか。
目丸地区から目丸山までは相当の距離があるが、カタクリの花を見るために登山すると云う人は結構いるらしい。このGWが一番見頃と云うからいつもは静かなこの地区も、さぞかし賑わうのだろう。
わずかの期間で優雅な姿を終えるカタクリは、惟光の生涯を思わせるようでもある。