津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■昨晩の事 今朝の事

2014-04-15 15:28:02 | 徒然

 ■昨晩の事、息子がデジカメを持って外へ出ようとしている。「月と火星が並んでいるのを写す」という。ベランダへ出て見ると確かに月の左真横に火星が位置している。天を仰いで写真をとっても天地も左右も判らないだろうにと思っていたら、撮ってきたものを眺めたら近くのマンションの階段部分を撮りこんであった。そうだよな~そうしなくっちゃな~と合点をした次第・・
今日も天気が良いので見えそうですよ。

                        http://www.astroarts.co.jp/alacarte/2014/04/14/index-j.shtml 

 ■今朝ほどは「ツバメ」が低空飛行をしているのをみかけて思わず声をあげたのだが、よくよく考えるとまだ季節的には早いように思える。
乱視が進行していて私はよく判断がつかないが、たぶん「こうもり」の類であろうか。
夏の比夕方に成ると沢山の「こうもり」が飛んでいるのを見掛けるようになる。
昔は町中では見掛けなかったように思うのだが。
そしてここ数年よく見かけるのが「白セキレイ」である。十数年前佐賀の小城でたくさんの「セキレイ」を初めて見て覚えたが、熊本へも引っ越してきたのか・・・・


そういえば今年は「百舌鳥の高鳴き」や「うぐいすの初音」も聞けなかった。わが住む町も、もうこんな鳥たちの住む環境ではなくなってしまったのか・・・
雀もあまり見かけないなーと思っていたら、先日近所の「米搗きBOX」の前や近くの木にたくさんの雀を発見、食料豊富な場所をよく心得ている雀に驚いてしまった。昔は奥方が餌を巻いて鳥たちがやってくるのを楽しんだこともあったが。それぞれが良かれ悪しかれ環境に順応して住処を移動させているのだろうが、寂しさを感じる。

                        蝙蝠や飼はれてちちと鳴きにけり  村上鬼城

蝙蝠を飼う人もいるんですね。鳥も様々、人も様々・・・・

                       

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■かれゐなるらん

2014-04-15 09:07:43 | 徒然

 昨日は夕食に「かれいの煮付け」などをいただく。旬はもっと先なのではないかと思うが、それでも美味しくいただいた。
ふと忠利公に「かれい」の歌が有ることを思い出し、PCのデータを探っていたら次のように出て来た。
ちょっと季節外れだが、お正月の小田豊斎からの贈り物に対する返礼の書である。 

 寛永十四年正月四日・同八日折紙披見申候
早晩ニ不替祝候而王餘魚一箱拾被送候満足申候 今年者息災候由春之悦千秋万歳〃〃                           
        行末の千とせをかけて春毎にかはらて祝ふかれゐ成覧
我々も無程可上候面ニ而申候 北野ニ而茂早々連哥興行ニ我々祈念之由満足申候 恐々謹言
        二月十日                     忠利
               小田豊斎 

ここにある王餘魚とは「鰈=かれい」のことである。忠利は「鰈」を贈られてきた返礼を歌に託したが、鰈を嘉例に掛けた巧みな歌である。
何故鰈を王餘魚とよぶのか、是には次の様な伝説がある。
中国春秋時代、越の王・勾踐は魚を片身だけ食べては残りの半身は海に捨てていた。その半身が水中で元気に泳ぎ出し魚になったという。
そこで、王が餘って捨てた魚として「王餘魚」と呼ぶようになった。

これから丁度一年後は、天草島原の乱のさ中である。

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■明治初期の洗馬橋

2014-04-15 08:38:54 | 熊本

 ■古今肥後見聞雑記から -- 船場橋のこと を書いた。

 この古今肥後見聞雑記によると細川家の入国時、この洗馬橋は土橋であったという。幅三間、長さ十八間だったというがこの写真の時代もそう変わりはなかったのだろう。向こうに御城が見えるから、撮影地点は現在の塩屋町あたりでこの辺りは現在商店が立ち並んでいて、道から川を直接見ることはできない。
高祖父・上田久兵衛の少・青年時代の日記によると、まさにこの辺りには沢山の船が係留されていたらしく、度々船を借りては遠出の登り下りの足にしたり、魚漁の仕掛けをしたり、投網をしたり、泳いだり、納涼に出掛けたりと盛んに利用している。殿様も度々お出かけに成り、桜町に住んでいた久兵衛はそのたびに辻御目見をしている。写真には人影がなく生活感が見えないが、賑やかな新町につながる重要な道筋である。(左・新町、右練兵町方面) 

           船場界隈  以前こんなことも書いていました・・・・・

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