津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

中根市左衛門・・・その後

2014-04-12 17:49:31 | 人物

先に「是は何事・・中根市左衛門のこと」を書いた。これに係ると思われる文書が出て来た。
これらを読むとどうやら島原の乱において何らかの不都合があった様に思われる。なかなか文意が読み取れずにいるし、他に資料が見つからず真実解明には程遠い。 

               ■其の一
                二月八日之御状并案文我等内坂崎内膳所迄被下同廿二日拝見仕候 中根市左衛門儀
                年罷寄間も無御座候ま當月之御年忌御詫言仕度存候間我等頼候由貴様まで申越段承
                届候 帰参之儀我等次第仕頼於申ニ者如在可仕候哉則大隅殿・三四郎殿へ以書状申候
                案文懸御目候 又市左衛門正月七日貴様江之状一両月可罷上候間以面可申上と書
                申候 定而我等返事其内可有之と存書申候と存候 若又此返事も不承貴様へ申届候と迄
                存罷上候者暇ハ遣候 我等肝煎不罷成候 其御心得可被成候 其うへ理を我等留守居不
                承届可罷上と市左ヱ門申候ハ無用と存候 兎角我等次第ニ仕我等を頼と存候ハゝ如在有
                之間敷候 御詫言不相済増上寺江も引籠候儀ハ頓而貴様江も懸御目市左ヱ門ニも尋寺
                入も子共之事も埒を明可申候貴様へ市左ヱ門一通無偽段ハ定而我等へも可申越と存候
                                                                   恐惶謹言
                      二月廿三日                      (忠利)
                           曾 丹波様
                                人々御中
                    (中略)
                    追而申候市左ヱ門儀島原之時本丸之内ニさくを付さくうらに鉄炮を召連居申候 其
                    類多候つる 石十蔵殿廿八日我等さくより内へ御はいり候時市左ヱ門ニ御理候而
                    御はいり候由候 其時十蔵殿御はたらきの様子委市左ヱ門申候故一所ニ居申候
                    ものとも定而見可申候物語仕候へと申候時何も大勢居候へとも見不申候由申候
                    ゆへ不審ニ候て能々尋候ヘハ右御はいり候さくゟ内へ御入候て左手之へいへ付
                    しはらくおくへ御通り候ておくにて手ニ御あい候 其時見申候もの多御入候つる市
                    左ヱ門居申候所よりハ見へ申所にて無之候故重て尋も不仕候 此段我等前を迷
                    惑可仕と存候 右之様子は十蔵殿手ニ御あい候て御帰候時又さくきわにて市左
                    ヱ門ニ御物語候を見申様ニ与風申たるか又年寄之事ニて聞申違たるか又ハ上
                    使衆之儀ニ候間慥成様ニ事御ためかと存申たるにて可有之候 日中之儀ニ而傍
                    輩多事ニ而問かすめ候て申たるにてハ少も有ましく候 先右之段在所ニ而承候ゆ
                    へ不入せんさくと存其後沙汰も不仕候 年寄如在無之事にて候間此段心ニかけ候
                    ての事ニ候ハゝ何とそらちの明様も可有之候哉此度御前相済候ヘハ一段之儀と
                    存候 不相濟候(ハ欠カ)ゝ如何と存候間我等貴様懸御目又ハ國にてとくと主ニも
                    聞気遣なきように仕候て遣度事候 又貴様へ申ことく年寄・親類へ近参其上御侘
                    事も濟候ヘハ一段之儀ニ候 此所如何思召候哉此度之申様帰参之事斗とも難見
                    へ候餘むげニ候ゆへ如此推量も仕事候 何之道にも其身外聞内外能様ニ仕候而
                    遣度事候 但此外之事も候ヘハ各別之儀候
                    (右者曾丹波様江之追而書之留之事ハ奥ゟ御印ニ而封出申候ゆへ不存候)


               ■その二
                一筆申入候仍中根市左ヱ門儀當四月公儀御詫言申上帰参度存由曾丹波殿迄此段我
                等ニ御申候様ニ奉願候由申通市左ヱ門并貴様・大隅殿より之御状之通二月八日之日
                付にて昨日申来候相心得候由丹波殿へ返事仕候 はや四月も間無御座儀ニ候間我等
                貴様を頼入候条南光坊へ御詫言候 御帳ニも付候様ニ被成御肝煎候て被下候ハゝ可忝
                候 右之段中根大隅殿へも申入候 恐惶謹言
                      二月廿三日                      (忠利)
                           久世三四郎様
                                   人々御中
                    尚/\公儀御侘言之儀我等を市左ヱ門頼申候ニ如在成様ニ存候へハ久々國
                    ニ居申候甲斐も無御座候間御六ヶ敷御座候ハんつれとも各様を頼入事候 市左
                    ヱ門・丹波殿まて申通心疎なきニおゐてハ如在ニ不在候以上

                  (尚、同様書状が中根大隅守にも送られている)
                     

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■新しいサイトのご紹介「毛利徳山藩.Com」 

2014-04-12 10:27:48 | 徒然

 ご厚誼をいただいている山口県周南市のKK様が今般「毛利徳山藩.Com」というサイトをupされご連絡を頂いた。
最近歴史関係のサイトがあまり元気がないように見える。そんな中での新しいサイトが登場したことは大変うれしく、御祝いを申上げる。

KK様とのご厚誼は我が家の先祖・磯部氏がからんでいる。遠祖磯部氏は毛利家に仕え牢人して下松(山口県)に住んでいた。
そんなことをブログでお知りに成り、いろいろお調べいただいた。誠に有り難い次第で、直接的な確証は見いだされなかったが確信に近いものとなった。

サイトを拝見すると、毛利徳山藩ご当主の御挨拶がみえ、本格的なものとなっている。今後のご発展に期待をしたい。
サイトの運営はことのほかエネルギーを必要とする。余計なことながら、あまりご無理をなさらないように申上げた。 

コメント (1)
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