津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■佐佐佐佐

2014-04-28 20:01:16 | 人物

 雑事紛冗解にある嘘のような本当の話・・・
松平出羽守の家臣の名前である。さささすけと読むのだそうだが、世の中にはこの様に奇をてらった名前の人が時折登場する。
なぜこのような名前が記録されているのかと云うと、各藩の家臣で読みが難しい人の名前にルビをふって記してある。
これは外交の上で不都合が起らないようにとの配慮によるものであろう。

114名の名前が挙げられているが、以下の如きは皆目わからなかった。
水戸様御家来 入戸野(ニットノ)十五郎、新家(ニイノミ)九郎右衛門
讃州様御家来 小夫(オダ)隼太
薩州様御家来 頴娃(エイ)左京 

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■銘・荒木

2014-04-28 08:47:10 | 徒然

 昨日の「なんでも鑑定団」をみていたら、この「荒木」とよく似ているからと出された茶碗があった。
安南(ベトナム)の茶碗でそれでも20万円とかの評価であったから、ご本人はなかなかの目利きではある。
しかしこの「荒木」村重が逃げる際、ふところに入れて大事にしたという話しが残っているが、よくぞ残ったものではある。 

                           唐草文染付茶碗 銘 荒木

                                                                        徳川美術館所蔵

唐草文染付茶碗 銘 荒木

戦国武将荒木村重が所持したことから「荒木」の銘がつけられた茶碗。見込と外部側面に呉須で唐草文が描かれているが、高台を除いて内外にかけられた乳白色の釉のため文様は不鮮明である。「荒木高麗」とも呼ばれてきたが、中国南部産の呉須絵陶器であろう。千利休、徳川家康の手を経て、尾張家初代義直に伝えられた。大名物。【明時代 16世紀】

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■光尚嫡男の死

2014-04-28 07:00:48 | 人物

 光尚に初めて授かった子は男子であり、その喜びは如何ばかりであったか、三齋書状や熊本における喜びの様などいろいろな史料に伺える。
それ故に室・禰々の死(10・14)や、引き続く男子の死(12・12)は驚愕の出来事であった。 

                       以早打申候孫之事肝と(を?)つふし候 肥後ニ心得可申候 打續加様之事稀成事にて候
                       此上者何ほとも祝候て可然候 此方も其分ニ候頓而祝候様ニ人を下可申候 何とそ肥後ニ
                       たゝり候去年ハ年と存候間此春ゟ祝候事せんにて候 又奥のつき/\の女の事も我等下
                       候て可申付と右ニも申候 先左様ニ心得可申候 替事候ハゝ跡ゟ可申候 次ニ何もゟ飛脚
                       なと参候事可有之候 度々承迷惑かり申候間必人も不参様ニと随分心得可申候 謹言
                                                         越
                         (寛永十四年)正月四日                  忠利 御印
                                 小笠原備前殿
                                 松野織部殿
                                 町三右衛門殿
                                 横山助進殿
                                 浅山修理殿

江戸から急報がもたらされたのだろうが、その返書の日付を見ると相当の日数が経過している。
孫の誕生を喜びながら新たな年の賀を祝っていたであろう最中の訃報であった。心中察するに余りある。 

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