御存知曽我十郎・五郎兄弟の敵討の話は、私はほとんど知らなくて今でもよく判らない。禅師坊なる弟の存在は「謡曲・禅師坊曽我」等で知られているようだが、これは架空の人物ではないのか、熊本にはこの禅師坊に関する言い伝えが結構多いらしい。その際たるものが下記に紹介されている。
もっともこれを記録した寺本直廉は「土俗の説更ニ信用しかたし」と言っている。
飽田郡小嶋村邊に御坊山と云て纔の小山田中に有前々は
定て嶋成るへしと云り此やまに阿蘇十二の宮を祭る祭日は
十一月十五日也禅師坊の社とて御坊山の下にあり此邊に禅
ィ曽我の禅師坊当國へ下り楢崎に居住有し處
師坊の社多く土俗相傳候説ある。曽我十郎兄弟討死と聞
て小嶌に来りしか程なく彼所にて病死のよし其節介
抱看病せし村の祖父祖母有し二老の木像御坊社の脇
にあり土俗の説更ニ信用しかたしといへとも聞侭に是を記
曽我物語を近代デジタルライブラリーで読んで見ようかと思うが、中々の大部である。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/877589/15
歌舞伎の世界でもここから派生した演目が多くあるらしいが、こちらもとんと判らぬ門外漢である。