茶入れ(山の井肩衝)の次は茶壺の話である。
かって細川家が所蔵した茶壺「しぐれ」は忠興の代に将軍家に献上されたとされ、「山上宗二記」にもそのように記されているという。
現在はミホミュジアムの収蔵するところとなっているらしい。
以前 時雨の壺、到来 を書いたが、この時この壺は京都から取り寄せられた。
遡る寛永十四年七月には、熊本から京にいる三齋のもとをへて江戸へ運ばれている。
七月十二日付三家老に宛てた忠利の書状は、修理・助進の江戸詰めが長くなったので、交代の為立石助兵衛・寺本八左衛門・長谷川仁左衛門を江戸へ下すように要請している。
(熊本県史料・近世史料ニ p264)
(前略)左候ハゝ修理・助進を久敷詰候間我等上り候時分迄國ニ甘可申候間
為替立石助兵衛・寺本八左衛門・長谷川仁左衛門用意次第可下候上方より
つほ共下候間三人之内助兵衛ハ先へ参残ル両人つほを持せ可下候事之外
ぬす人はやり申候つほ之奉行ハかちものをはからひ可下候事
(中略)
付札
追而申候寺本八左衛門ハ 三齋へ口切之御使ニ進上申筈ニ而候間御つほ
上申候ためわさわさと罷上申候 御薬上候ハゝ江戸へ罷げ候へと申付由可
申渡候 つほ・樽肴之儀は佐藤少左衛門・小林兵左衛門所へ申遣候 不及申
つほハいつものことく時雨にて候以上
七月十二日 忠利
佐渡
頼母
監物
佐藤少左衛門・小林兵左衛門宛て忠利の書状
助進・修理替ニ寺本八左衛門・長谷川仁左衛門・立石助兵衛参候 其便ニ
其元之壺共相渡爰元へ可下候 しくれのつほハ京ニ残御樽五ツさかなめつ
らしきを三種相添寺本八左衛門ニ 三齋様へ御茶を上させ候て時雨を可下
候 残ルつほハ長谷川仁左衛門下候ニ先ニ可下候 此状八左衛門・仁左衛
門ニも見せ可申候 謹言
七月十七日 忠利
佐藤少左衛門殿
小林兵左衛門殿
尚/\寺本八左衛門上候ハゝ 三齋様へ御つほ上申候ためニわさと
罷上候由申上是ゟ江戸罷下候段申上候へと可申渡候 以上
最期の二行の文章がなかなか意味深長で面白い。
「忠興の代に将軍家に献上された」というが何時の頃献上されたのか、勉強不足で承知していない。