「烏亂者之儀付て御達之趣堅相守可申事」つづき
七七〇
一近年町在旅人宿之外ニ烏亂者等入込居、在中徘徊いたし
候ニては無之哉、御郡代中より被及吟味候様頃日及口達
候、然處烏亂者大勢入居候所も有之、廻役共より押指出事
候、畢竟、最初御郡代中より之達筋不行届故と相聞候、
惣躰旅人之儀は旅人宿之外ニ一宿ニても堅ク仕せ不申筈
候處、無其儀、旅人宿之外ニも宿仕せ候者も有之様子ニ
相聞不届之至候、已來右躰之儀堅不仕様ニ屹ト可被申付
候、旅人宿たり共御格之通往來手形相改、相違之儀無之
候ハヽ一宿させ、若無據譯有之雨夜ニ及ひ候ハヽ、宗門
書物仕せ候儀勿論之儀ニ候處、於在々ハ右躰之儀猥敷相
成、心得違之者も有之様子相聞候、是又御格之通相守候
様堅可被申付候、往來手形持参いたし候旅人たり共、商
賣其外之業共不審之躰相見候者有之候ハヽ、委承届、申
分怪敷様子も候ハヽ其段早速可相達候、惣躰往來持参不
致烏亂之者ハ片時之立宿も不仕せ、不審之様子も候ハ
ヽ、押置相達候様急度可被達候、御國者たり共烏亂之者
ハ遂吟味、不審之様子候ハヽ押置相達候様被及達、御惣
庄屋幷村役人共無油断遂吟味候様、若隠置候者有之候ハ
ヽ屹ト越度可被仰付候、右之通不洩様可被及御達旨ニ付
申達候、以上
四月
七七一
覺
此間烏亂者致徘徊候様子ニ付、頃日御沙汰之趣委細及達候
處、所柄より候てハ不■之儀も有之様子ニ付、猶又今度 ■扌偏に乄=締
御奉行衆より之書附御郡頭より被相渡候間、寫之相渡候ニ
付、右書附之趣急度相守、在々端々至迄烏亂成者不及申、
旅人其外被人躰之者ニても御定法之通委敷相改可申候、烏
亂者改様之儀ニ付てハ、先年委細御沙汰有之たる儀ニ候處、
近年猥敷相成不埒之至候、則先年御沙汰之書附を寫相渡候
間、右書附之趣を以、各幷村庄屋・村役人共精々心を用ひ、
後年共無怠慢相改可申候、御家人をも差出右改方之様子承
届、此方へ相達候様申付候、此上不■之儀有之におひてハ
屹ト可被仰付候條、此段村々小百姓無高者ニ至迄不洩様、
委細被申付、人別奉得其意候との受書判形取置可被申事
四月 御郡代中
すぐ近所を流れている健軍川は、雨が上がると水が全くなくなってしまう。
しかし洪水の際の避難MAPが在るくらいだから、過去には水害もあったのだろう。
熊本は昨日から雨となり、数日続くようだ。もうすでに濁流となっている。
この写真は三日前のもの、日照りが続いて川底はカラカラである。
我が家に近い部分は川底にはコンクリートの大きな床版が敷きこまれているが、300m程の下流になると巨石がごろごろ転がっている。
その中の一個・・・枯山水の庭石の展示場のような感じを呈しているが、正真正銘の川底の石である。
健軍川誕生の由来を思わせるようなこんな巨石が散乱している。
2×2.5×h1.5mくらいありそうだが、御宅のお庭にいかがでしょうか。
元々はまだ大きかったようで石を割るための穴の跡が残っている。流れを遮る障害物だったのか?
まさか御城の石垣用ではないと思うが、いくつかの穴がえぐられた巨石が他にも確認される。