〇五人組之儀ニ付、御書附之趣堅相守可申事
八二七
覺
一前々より被仰付置候在中五人組共之儀、組合正しからさ
る儀も有之趣付て、改方之儀は先達て及沙汰候二付、御
法度之趣五人組共相互ニ申合、堅可相守條々さ之通
一御高札之面、其外公義被仰出・御自分方御法度之條々、
臨時御觸共堅相守、衣類其外平生之身持ともニ分過之儀
無之様、互ニ可申談候、組合之内若不心得之者於有之は、
組合中申談異見を加へ可申候、左候ても承引不仕候ハヽ
村庄屋迄可相達候、自然顕置相達不申ニおゐてハ五人組
共迷惑可申付候、畢竟其為に五人組被立置候儀二付、専
此旨相心得可申事
一田畑地拵根付等、時日を不移、尤草さらへこやし等之手
入随分念を入、組合之内若病人等有之節ハ組中助合、間
抜無之様可仕候、取揚之節も右同前二相心得可申事
一御年貢諸上納共組合申談相勵、少も無滞相納歟申候、組
合之内不納之者有之及潰候得は、第一銘々及迷惑村中之
難題に相成事に候條、連々手堅申極置、互ニせり立相納
可申事
一惣躰何事ニよらす上之御難題ニ不相成様ニ心得、平日組
合申談、諸事相慎可申事
四月
八二八
覺
一諸御郡小百姓共五人組合之義、嚴密ニ無之候てハ難叶譯
ニ付、連々被仰付置候上、先年組合限心得之稜々書附を
以及達置候通ニ候、彌以達之通堅相守可申候、村々組合
之名附帳面ニ仕立、會所/\へ被取置儀ハ勿論ニ候、入
百姓又は名替代替等之節々は、速ニ根帳相調、及混雑不
申候様ニ屹ト可被申付候、當時組合居候内ニも最寄悪敷
候歟、又ハ何とそ子細も有之分ハ此節引改、組合を仕替
候様可被申付候、左候て根帳之儀は拙者共出在之序/\
見届置可申候、組合限心得之儀改達ニも及不申候得共、
今度先年申渡候趣別紙相認相渡候間、村役人ハ不及申、
小百姓とも不洩様右書附之稜々委細被申聞、人別得其意
候との受書判形歟被申付候、尤別紙之趣一通一統被申渡
候迄ニて候、自然呑込兼候ものも有之候てハ行届不申事
ニ候様、銘々委敷致納得居候様ひたと教示歟有之候、已
上
午八月 御郡代中
八ニ九
覺
一五人組之儀前々ハ堅相極居候處、近年組合嚴密ニ無之候
故、下方農業幷身持等之儀相互ニ心を付候儀も無之候ニ
付、農業幷御年貢拂・平日之身持共心得違之者共有之、
其身身躰を潰シ候のミならす、一類又ハ村中之役害ニも
成行候躰之者も有之様子相聞候、畢竟脇より心を扶ヶ合
候儀無之故、右之通之者共も出來候哉、右ニ不限五人組
之儀ハ堅相極置申筈之事ニ候間、以來五人組之儀嚴密極
置、相互ニ心を付、御法式背不申農業精を入、御年貢納
方丁寧、家内之風俗・平日之事共百姓相應ニ覺悟、相互
ニ心を付右組合之儀遂吟味、急度相改候様可被申付候事
一右五人組之儀村々遂吟味、當時迄組合嚴密有之所ハ今度
相改候ニ不及候、併親類縁者組合候ハ引分、別組ニ組合
せ可申事
一右組合、村ニより人數多き所々ハ親類縁者も組合不申候
てハ差支へ可申候、左様の所ハ身近き者を引分、縁遠も
の共を組合相定歟申事
一村人數之多少ニより五人宛之組合難成所ハ、六七人或ハ
三四人も組合せ可申事
一村々共五人組之儀、御惣庄屋會所へ根帳を取置、向後入
百姓は勿論、家分り等仕候節も、前條之趣を以其時/\
早速/\組合を定、村庄屋より相達候を根帳ニ記、不及
混雑様可被仕事
一五人組共相互ニ申合可相守條々、影踏之節讀聞せ可申候、
右之通被及沙汰、五人組組合帳面各手前相揃被申、差出
被申候ハヽ見届候上各へ渡置可申候間、揃候上差出歟被
申候事
戌十一月 郡奉行中
(了)
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「井田衍義・十四ヶ條 會所定法 廿二」は今回にて終了いたしました。
「井田衍義・明和繁雑帳 會所舊記 廿四・廿五」は先に完了しており、これで「井田衍義」は全て完了の運びとなりました。
今後は順次「度支彙凾」からご紹介してまいります。
以下の表の内一部完了しているものも有、現在の進捗率は56、5%と相成りました。
■度支彙凾(たくしいかん)
十二 寛延より文化迄 節儉號令 済
十三 文化より文政迄 節儉號令 p538~ 未
十四 延享より明和迄 法令條諭 p569~ 未
十五 明和より天明迄 法令條諭 p606~ 未
十六 延享ニより天明八迄 法令條諭 p635~ 未
十七 寛政元より文化七迄 法令條諭 p689~ 未
十八 文化八より十四迄 法令條諭 p752~ 未
十九 文政元より五迄 法令條諭 p778~ 未
二十 文政六より十迄 法令條諭 p806~ 未
■雑色草書 済
■市井雑式草書附録 p905~ 未
■御刑法定式 p965~984 未
八二二
覺
一町在之女、夫婦之申分等ニよりて相對之離縁難叶節、御
侍屋敷え推参、身分之儀頼候得は直ニ奉公人ニして仕ひ
被申候ニ付、其夫御侍へ對シ仕方も無之、心外ニ存なか
ら其分押移、其月經候得ハ無是被致離縁候者も間々有之
様子ニ相聞、右之通ニてハ下方風儀も不宜候間、以來右
躰之女致推参候ハヽ、其懸り之御惣庄屋又は町別當ね委
ク被申向、受取人差出候ハヽ直ニ可被相渡候、假令殺害
之難を迯レ來候たりとも、町在役人へ被相渡候上ハ聊爾
之儀は有之間敷候得ハ、銘々より救被申候同様之儀ニ候、
若又右付て町在役人不埒之筋候ハヽ、御奉行へ可被申達
候、尤男たりとも右躰之申分ニて頼参候儀も稀ニは可有
之哉、其節は右同様ニ可被相心得候、已上
七月
町在之女、夫婦之申分等ニよりて相對之離縁難叶、御侍
屋敷へ致推参候節之儀ニ付て、御用番より別紙書附被相
渡候二付、御家中へ及達候、則右書附寫之差越候間、下
方承置候様、御郡中不洩様可有御達候、此段御仲間中へ
も可有御通達候、已上
七月九日 御郡方御奉行中
八二三
一町在之者婚儀相整、又は婚約致候上、内證を色々申分有
之、媒等を以離縁之致相談候ても、其者難儀二相成候た
め理非之分チも無之、數年縁を切不申輩も有之様子相聞
候、各別之譯二て難致離縁道理も有之候ハヽ、其段所之
役人へ申届、扶持方等をも遣預置候儀ハ其通之事にても
可有之歟、左様之儀も無之數年預置難澁致せ候儀ハ、理
不盡之事ニ付、以來堅右躰之儀致間敷候、若此上心得違
之者も候ハヽ、所々役人より遂吟味可申出段、五ヶ所町
へ及達候條、御同役中へ御通達、御支配方へも急度可被
御達置候、以上
四月十六日 御郡方御奉行中
當番御郡代衆
〇往來無手形旅行仕間敷事
八二四
一参宮其外本寺参詣等ニ罷登候節、酒迎と唱、親類又は心
安者共へ過分之酒肴を致用意、途中ニ出浮致遊興趣ニ候、
已來右之通之儀は勿論、宿々へ見廻酒肴なと取はやし、
輕品ニても餞別土産等之儀堅ク相止可申候、右之趣堅相
守候様可被申付候、自然相背候者於有之は、其者共ハ不
及申、双方之五人組共・村役人共も急度可申付候條、人
別委細被申渡、承届候との銘々判形取置可申候、以上
延享四年卯正月十四日 辛川孫之允 四代・辛川孫之允・正鎮 百五十石 御小姓組六番御郡奉行 屋敷・千段畠
延享三年二月頃~延享四年一月 宇土郡郡奉行
八ニ五
覺
一百姓共他國へ出候節は、各へ相願往來手形受取申筈ニ候
處、伊勢参宮ニは抜参と申候て、各へ不願出往來なしニ
竊ニ罷出候ものも有之候哉、年ニより大分之人數ニ及候
様子相聞、不■之至ニ候條、以來は定法之通願出、往來 ■扌偏に乄=締
手形受取罷越候様堅可被申付候、萬一、以後不願出ひそ
かに罷出候もの有之候ハヽ、其者ハ不及申村庄屋・村横
目・五人組まて越度可被仰付候條、急度可有御申付候
一参宮仕候者願書前以差出候様定置、勿論年貢諸上納皆濟
不仕者、幷極り候作徳米外ニ御心附米等被下候者ハ、願
出る共往來手形被相渡間敷候、零落之由ニて御救米ニも
預り候、致参宮餘計之銀銭費候儀不埒千萬ニ候、且又勝
手向兎哉角仕候者ハ参宮之序ニ京・大坂ニ滞、農家不相
應之買物ニ過分之銀銭費候儀、餘國之百姓ニ類も無之、
不勘辨之風俗之由ニて、京・大坂之者も致嘲奔程之様子
相聞候間、右之通費ヶ間敷儀無之様、稠敷可有御申付候
事
寶暦七年丑九月
伊勢参宮之儀ニ付書附一通、於御奉行所清田新助方より 清田家5代・新助征恒(養子実・三苫治部右衛門征員二子)
相渡候、則寫一通相渡候條夫々急度可有沙汰候、不及申 宝暦五年二月~明和六年八月 奉行職として宝暦の改革に力を盡し其功多し。
候得共、間ニは参宮願相濟罷登候者有之候得は、心安者共
ハ致同道、抜参宮之儀企候者も有之様子ニ候、向後右躰
之心得違於有之は差通不申筈ニ候條、巌敷可有沙汰候、
且又参宮願之儀、毎罷立候日詰ニ相成願出候ニ付、達方
も殊外向付申事ニ候、以來は罷立候廿日程も前以願書差
出候様、是又可被申付候、以上
九月廿七日 御郡代中
八二六
覺
一御領内町在より例年参宮等いたし候者共、於小倉宿之儀、
當時迄ハ相對ニ致宿様子ニ候、然處小倉むろ町村屋銀右
衛門儀ハ、前々より此方様御用相勤來候處、右之者共致
脇宿候ては紛敷儀も可有之候間、向後は参宮等いたし候
者共ハ銀右衛門宅へ致宿、諸事申談候様被仰付候、依之
今迄致脇宿候よりハ右之者共諸事勝手ニ相成候様ニ心を
付致世話候様、銀右衛門えは及達候間、左様相心得候様
下方え不洩様可有御達候、以上
明和三年戌十一月 御郡方御奉行中