29・30日の両日、舞鶴で第16回の藩校サミットが開催される。
舞鶴は細川家ゆかりの田邊城があり、是非共出席したいと考えていたが、行きかえりの道中を含めて自身が持てずに断念をした。
熊本からも多くの方々が出席の予定である。
いまでこそ行政区分としては分かれているが、お隣の宮津と田辺(舞鶴)は宮津城・田邊城が夫々存在し細川家統治の地であった。
慶長五年の暮れに豊前へ領地替になる迄、細川家は約20年ほどをこれ等の地で過ごしている。
特に田邊城は慶長五年、幽齋公が多くの敵に囲まれながらも、よく持ちこたえ、敵の軍勢をひきつけ関ケ原への出陣を阻止する結果となった。
この際の、「古今伝授」の途絶えることを憂いた禁裏の働きかけによる停戦と幽齋の下城は、幽齋の古今伝授の継承者としての名声をいやが上にもたからしめた。
今回のサミットでは田邊藩・牧野家の「明倫館」が主役ではあるが、当然ながら幽齋公に関わる逸話や、細川家治世の時代の話も取り上げられることだろう。
そんな雰囲気を会場で味わいたかったが残念の極みである。ご盛会をお祈り申上げる。