〇孝心可仕事
七七二
覺
宇土郡大見村
貞享二年六月 四郎兵衛
右は孝心よつて御賞美有之候、其以後之行事、親又ハ自
身死亡之年月・葬墓之在否・子孫之有無・其所々ニ申傳
も可有之候間、委吟味之事
一孝行之志厚有之御役所へも相聞、御褒美御扶持方等被下
候者ハ前廉より段々有之内、其孝行之かたちハ色々ニ有
之、同様之形ニては無之候ニ付、其孝のいたし様ハ其所々
の者も承傳居申事候條、得斗承繕書出申候様との事ニ候
寶暦五年六月 御郡代
七七三
覺
大見村四郎兵衛儀、親孝行仕候由ニて御吟味被仰付、聞
傳之ヶ條之覺
一四郎兵衛儀、貞享二年より為御扶持方御米拾俵宛年々拝
領仕、享保四年迄存命仕居、九十三歳ニて六月十二日病
死仕候
一四郎兵衛果申候て佛事等之儀ハ、年囘参候節ハ旦那寺へ
佛米等を上ヶ其噂仕、猶又月々之銘日ニは茶湯迄仕候
一四郎兵衛墓所、大見村之内もりのさこと申所ニ御座候、
墓印石塔を建、法名道悦と申候
一四郎兵衛浄土真宗ニて松合村光暁寺旦那ニて御座候
一四郎兵衛玄孫、只今傳助と申者、小高を抱居松山手永小
頭役相勤居申候
一四郎兵衛孫才兵衛儀、只今大見村庄屋役相勤居申候
一四郎兵衛儀、元来大見村之百姓ニて御座候
一四郎兵衛儀平生之心持之儀、村中不依何事麁抹等も無御
座様、心を付候者と申傳候
一四郎兵衛儀、両親之墓所へは毎朝参詣仕候由申傳候
右は大見村四郎兵衛親孝行仕候由、御聞傳御吟味被仰付
候、只今迄申傳候儀右之通書附差上申候、尤此節御書附
之寫是又差上申候、以上
寶暦五年六月 大見村庄屋 才 兵 衛
七七四
覺
一四郎兵衛儀、孝行勝たる者ニて御座候、母ハ十ヶ年以前
相果、父親存生ニて八十六七に罷成申候、老人ゆへ夜臥
り兼申候ニ付、四郎兵衛儀夜中大形付居申候程ニ仕候、
寒夜は着物をあたため足を包、其着物寒へ申候得は又詣
仕候、下人共三四人持居申候得共、下人ハ耕作ニ骨折申
事御座候、其上老極之親を下人ニ任せ候てハ無心元と申
候て、自身せおひ申候由御座候、朝夕之給物も何ほと閙 閙=さわがしい
敷御座候ても試を仕給させ、諸事如形孝行成様子ニて御
座候、扨又下人共耕作ニ参候得ハ、歸り申時分を考へ湯
をわかし置、行水等取遣し、殊之外いたわり召仕申候、
右之通成る心得之勤成程たまりに仕、御年貢之つかへ無
御座様取立申候、若差閊申御百姓共御座候得は、四郎兵 閊=つかえる
衛才覺を以無滞様仕由御座候、此段近村幷四郎兵衛邊り
之村之もの共も申候、尤御惣庄屋郡浦彦左衛門も相尋候
處、右之通相違無御座由ニて、則彦左衛門書附指出申段
被達御耳、右之通被仰出候也
此者一代毎蔵米拾俵宛被下置之
右之御書附、貞享二年丑六月十六日宇土郡御郡奉行小村
與惣助殿、四郎兵衛を御召連日成、御奉行所へ御出被成
候間、御紙面一々被仰聞幷御郡間御奉行衆へも右之通被
仰渡候、拙者無紛之條書附相渡申候、以上
貞享二年丑六月十六日 松山庄左衛門
参考:この四郎兵衛については、中村正尊著の「肥後孝子傳」で取り上げられている。
七七五
宇土郡松山手永笹原村甚右衛門妻
ま さ
右は舅姑幷夫へ厚仕へ、其上相煩候付てハ産業難成候處、
女更農業をも心懸精勤いたし、右老人幷夫を育候様相聞
殊勝之至候、依之米貮俵被為拝領之
明和二年十二月二十八日
七七六
右同宇土町
安 平 次
右安平次、極々不如意者ニて家内も大勢有之、朝夕之煙
も立兼候程之者ニて候處、両親ニ孝心ニ有之、先年猶又
助病気相成候節、夜中共別て心を用、時分ニハ至極麁抹
なる給物を用、両親ニは心を付、右之通之不如意ニ付病
中寒気強節も夜具等も無之處、女房里三里程も有之由、
夜通シ女房罷越夜具をもらひ罷歸、女房儀も同前ニ孝心
有之由、其後親又助ハ病死いたし當時母まて存生ニて居
申候處、今以母へ夫婦共ニ心を盡候由聞届、奇特成者共
ニ候、彌以孝心を盡候様可被申渡候、以上
安永元年六月廿一日 御郡代
七七七
松山手永馬瀬村左平次
十九歳 彦右衛門
右彦右衛門儀、農業出精仕、村役人より申付候諸公役大
切ニ相勤、両親へ心ニも叶手全成者ニ有之由聞届候、未
年若キ者之由奇特成事候、彌以農業出精諸公役等手全相
心得、両親之助相成候様可被申渡候
同年六月廿一日 御郡代
七七八
松山手永松合村無高百姓
清 八
右清八儀貧窮之者ニて有之候處、老母をいたわり朝夕
食物等も入念、老母他行いたし候節も介抱等心を付孝心
ニ有之由、右付てハ家内之者迄も老母を大切ニ付、村並
之諸公役も無懈怠相勤申者之由聞届候、彌以孝心を盡、
諸公役等入念相勤候様可被申渡候、以上
同年六月廿一日 御郡代
七七九
玉名郡中富手永會所役人
曾 助
右は老母へ孝を盡候段抜群ニ相聞候、依之被賞一人扶持
被下置候事
安永二年閏三月
七八〇
菊池郡深川手永山崎村
甚右衛門
右は親へ孝を盡し家内一和いたし候段抜群相聞候、依之
被賞毎年一人被知被下置之
畢て連々農業各別出精いたし候段も相聞候、此段も可
被申渡候
右甚右衛門妻
と め
右は舅姑ニ能仕へ、家内睦敷貞順之様子相聞候、依之被
賞一貫文被下置候
右同人妹
き ん
右は親へ孝心厚、兄よめニも陸敷農業をも相勤候段相聞
候、依之被賞一貫文被下置候
安永二年四月
七八一
玉名郡大濱村
藤左衛門
右は兼々両親へ孝心有之、父果候以後は追孝厚有之段殊
勝之至ニ候、依之為御褒美一人扶持被下置之
安永六年六月