先に ■愛宕山下坊福寿院と細川家 をご紹介したが二件の論考があることをご紹介していなかった。
ともに2016年に発表されたものだ。抜刷の史料が欲しいと思っていたが、WEBでPDFで紹介されていた。
後だしながらご紹介する。
1、戦国期における愛宕山五坊・山伏の諸国勧進 工藤克洋氏
同朋大学文化研究所紀要・第35号掲載
1、愛宕山信仰と勝軍地蔵ー中世のある軍神信仰についての覚書ー 野崎 準氏
東北学院大学東北文化研究所紀要・第48号掲載
八一一
覺
一衣服御制度之内、御家中家來/\知行遣置候者ハ士席ニ
可准旨被仰付置候處、知行遣不被置とも知行取格又ハ給
人段抔と申名目ニて、知行遣置候者同様ニ被申付置類も
有之様子ニ付、去々年以來右之趣段々相尋、夫々之返答
も承届候處區々ニ相聞、只今之通ニては右際限之處無之
候條、以來左之通
一知行取不及申、知行取格・給人段と申者騎馬之名目ニ付、
軍役ニ被差出候騎馬之人數は、知行遣置不被申とも知行
取格・給人段ねとゝ被申付、刀脇差之拵・衣服等士積之
御制度ニ准し被申付候儀不苦候事
一右之通ニ付、軍役之外ニ騎馬可被差出用意有之おゐてハ、
何人ニても知行取格・給人段等之名目ニ被申付候儀不苦
候事
但、軍役之騎馬數之外給人段等ニ被申付儀ニ候ハヽ、
先其騎馬數之武具・馬具用意有之候上ハ、姓名ハ頭々
え被相達、頭々よりハ御奉行所え被相達、御奉行所よ
り之達を受可被申候、依之騎馬之用意も無之、名目計
知行取格又ハ給人段と被申付候儀ハ難叶候事
一當時之軍役ニてハ貮千石以上騎馬被差出御格ニ候得共、
前條之通騎馬之用意有之輩、五百石以上ハ知行取格、給
人段等之名目不苦候事
但、五百石以下ニても前々より譯有之者、右之格合ニ
て代々召仕被來候家来は、其由來委敷被相達、是又騎
馬之用意有之候上被相達候ハヽ、其譯次第給人段等之
名目ニ被申付候儀御免有之筈ニ候事
一知行取幷知行取格・給人段等之子弟、別ニ呼出召仕被申
候者ハ、其父兄之家類之衣服ハ難叶、其者之格式を以被
申付筈候事
右之通被仰出候、以上
安永四年二月
〇地方取遣證文、御格式之通堅相守可申事
八一二
一支配御郡・他御郡、御蔵納・御給知共質地取遣之儀近年
猥罷成、證文等格外之様子ニ候、就夫取遣證文等之儀、
御郡奉行中寄合讃談之上御奉行所へ相伺、今度證文之紙
面相極案文差廻候間、向後御郡内御百姓共右之趣堅相
守、定之通少も相違夫仕様ニ急度可被申渡候事
一支配御郡内又ハ他御郡へ質地ニ遣置、受返申儀不罷成其
者身代を潰村人數を放候ハヽ、鍬先地之様ニ罷成可申候
間、左様之類は村庄屋より御惣庄屋へ相達、村中之者歟
又は親類共より勝手次第ニ受ヶ戻候様仕せ、證文等仕置
歟申候、親類も無之者歟親類有之候ても不勝手者ニて受
戻候儀難成、村中迚も草臥村ニて受取候儀不叶村も可有
之候、左様之田地ハ親類之内歟村庄屋地主ニ成り、双方
之證文迄を改置可申候事
一此間より質地取遣仕置申候分ハ其通ニ候、併取遣を仕置
申儀も候ハヽ、其趣御惣庄屋ニ申出受差圖、證文等定之
通仕置可申候事
一質地ニ取置候者、手前より又質ニ餘仁へ遣不申候て不叶
様子も候ハヽ、本地主と申談、又質地候ものと本地主と
證文取遣可仕候、尤其段村庄屋へ相達、證文御惣庄屋ニ
相達割印取可申候、質銀之儀は再前質地取置候もの方受
取可申事
一御侍方・諸浪人・町方へ譲地ニ遣候儀停止之旨先年相極
置候、今以其通候事
一御年貢未進方差支、上納之手段無之ニ付、抱高之内を村
庄屋ニ打まかせ、支配之上村中之者田地を渡御年貢相濟
候を、證文なしニ仕置も有之由、只今迄ハ其通候、向後
はいか様之品ニても互之證文ニ御惣庄屋割印取置可申事
一他御郡へ譲地ニ遣申間敷候、此間譲地ニ遣置候てハ質地
之證文ニ仕直に、御惣庄屋割印を取置可申候事
一手永内之村庄屋ともニ證文之下書相渡置可申事
一田畑取遣大分之儀ニ候間、御惣庄屋手前ニて根帳ニ扣置
被申候ハ、手二及不申ニて歟有之様存候間、双方之證文
紙面御惣庄屋見届、相違之儀無之候ハヽ割印仕相渡可被
申候事
一右證文御惣庄屋割印之儀、手代たりといふ共差免不申、
各直ニ割印可被仕候事
正徳五年未ニ月
つい最近細川藩士・三井家の先祖附を読了した。川口恭子氏編「細川家家臣略系図」を見ると、その祖は弓削氏であると紹介されている。
ひょっとすると弓削文吾家・新家二家とルーツを同じくするのではないかと予感していた。
下に記した略系図の帆足から孫の左衛門尉までは「細川家家臣略系図」によるものだが、三井家先祖附の冒頭には「筑前國黒木与申城ニ罷在落去」と書かれており、予感が的中した。
筑前黒木城主
弓削帆足上越亮----清信----+
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+----------------------+
| 400石
+---弓削左衛門尉----+----太郎右衛門-----+----与次右衛門・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→弓削文吾家
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| +----六之丞(絶ヵ)
| | 1,300石
| +----茂右衛門・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→弓削 新家
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| +----勘十郎(絶ヵ)
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| 弓削 初代 二代 200石
+----新左衛門ーーーーーーーーーーーー三井新右衛門----弥兵衛・・・・・・・・・・・・・・・・・→三井弥内家
初・弓削三郎兵衛