天草島原の乱に関する古文書を読んでいたら、「なた長刀」という言葉が出てきた。
一揆軍がこれで襲ってきたというのである。なんとなく想像はついたのだが、一応ググってみると上の図が紹介されていた。
また下の写真のような品物が現存しており「筑紫鉈長刀」と紹介してある。名前からすると九州北部ではこういう形のものが古くから存在していたらしい。
こうなるともう立派な武器である。
天草島原の乱に関する古文書を読んでいたら、「なた長刀」という言葉が出てきた。
一揆軍がこれで襲ってきたというのである。なんとなく想像はついたのだが、一応ググってみると上の図が紹介されていた。
また下の写真のような品物が現存しており「筑紫鉈長刀」と紹介してある。名前からすると九州北部ではこういう形のものが古くから存在していたらしい。
こうなるともう立派な武器である。
タイミングをうかがっていますが、連日の猛暑で出かけるのもはばかられます。
9月1日までは三つ一緒に転換できますからなんとか今月いっぱいに頑張って出かけたいと思っています。
ちなみに「肥後の里山ミュージアム」では「宇土の歴史を育んだ轟泉水道」展が催されています。
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14宇佐郡末村木内村給 |
知庄屋等申状案 | 申上覚 中路加右衛門殿御知行分
| 一、高百七拾石余 末村
| 一、高百三拾九石五斗余 木内村
| 右両村之儀、御検地御竿つまり申、めいわく仕候而、其上、田畠共ニ、上中下のはまりちか申候、
| 中や下の所も、上々・上なとニ御帳ニ付申候而、めいわく仕候、年ニゟ、御給人ゟ御舛付ニて、
| 御務被成候ヘハ、畝つまりの在所ニ而、一段迷惑仕候、其子細ハ、御帳ニ壱段と付申所、七畝
| 八畝程御座候を、壱反ノ御算用ニ被成候ニ付、三ケ一被下候分ハ、下地ニて、畝たり不申候而、
| 作とくハ少も不被下同前ニ罷成、めいわく仕候、御免ニ被仰付候時も、毛上はかりの御見懸ニ被
| 成候ヘハ、畝のため不申候分ハ、御目ニたち不申候ニ付、御理り申上儀不罷成、迷惑仕候間、御
| さほ、上中下之はまり御なをし被下候へかしと、奉存候、以上
| 元和九年十一月十九日 末村庄や 喜左衛門
| 同村百性 吉右衛門
| 御奉行様 木内村庄や 次兵衛
| 同村百性 源三郎
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惣奉行等用状案 | 一、竿之違は、重而之検地を相待可申候事
| 一、御郡役之儀、高百石ニ付、拾石宛、免被遣候事
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| 以上
| 元和九年十一月廿七日 西郡刑ア少
| 浅山清右衛門
| 仁保太兵衛
| 横山助進
| 上田忠左衛門殿
| 釘本半左衛門殿