津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■お見事「さよならホームラン」

2019-08-10 14:59:41 | 熊本

 夏の甲子園熊本代表の熊本工業高校が延長12回、見事なサヨナラホームランで勝利した。
やはり郷土の勝利というのは嬉しいもので、更なる勝利を目指して頑張ってほしい。
我家から熊本工業のグランドは徒歩で30分位の所であるが、何時も選手たちの元気な声がしていて好ましい。
監督をしたって移籍組が大勢入学した八代の秀岳館が長い間、頭一つ抜け出ていたが、監督の引退と共に少し力が落ちたのか奮起してほしいものだ。
そういう意味では群雄割拠の中で甲子園までコマを進めた熊本工業、かって準優勝した時の初戦の相手を破っての二回戦進出、イケイケムードで頑張ってほしい。
熊本にご縁ある皆様の応援よろしくお願いいたします。

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■「女」を何と読むか?

2019-08-10 09:31:37 | 歴史

 古文書で□□女とあれば通常「□□の娘」と読むのが妥当であろう。処がよく読むとそうではない場合があるから注意を必要とする。
例えば細川三齋が息忠利に対して「女不持候者」を調べて報告してほしいという書状を出している。
通常であれば「娘を持たない者」と理解しがちだが、何でそんな人を調べるのかと疑問を持ってしまう。
忠利が即返事をしているが、高禄取の家の若い男子の名前と名前が記されている。
三齋は何でこのような依頼をしたのかというと、三齋附の家老・村上河内(10,000石)の女(娘)の婿を探していたのである。
三齋は忠利に家督を譲ったあと、家臣の結婚に関与している。高禄の家臣の結婚に関しては、藩の許可が必要である。
当事者同士が了解していても、親や縁戚が反対してご破算になることもある。
名門・三渕家に連なる「前川勘右衛門」と藤田助之進の女の結婚問題は、三渕一族(細川家・松井家等々)の反対によりご破算になるが、事は大事に発展し、藤田家は大いなる異議を公言して細川家を退身して離国、三渕家は時の当主・長岡十左衛門(重澄、後家老職)が家来を引き連れ南関から、隣国の北の関まで追いかけて鉄炮を打ち放すなどまでして、藤田一家を殺害している。
当事者である前川勘右衛門は、藤田一族の報復を恐れ逃げ回り、果てには自害している。
「家」の体面を第一とする結婚の実態を表している。

三齋の申し出に対する高禄諸家の「女不持候者」の「女」は「嫁」であることがわかる。「嫁を持たざる者」であり、家老・河内の娘の婿探しをしている訳である。
この結果についてはどうなったのかわからない。この女性は三齋のお側に近侍していたらしく、河内は三齋亡き後には立孝を八代藩主にすべく動くとともに、娘を通じ10,000石の家禄の継続等について口添えさせている節が伺える。
立孝が亡くなり、三齋が亡くなるに及んで河内の立場は本藩の意に反するところとなり、離国を余儀なくされた。
この娘とも思われる人物も一緒に離国している。

その後「女不持候者」たちの結婚については調べが及ばないでいる。

今日の主題は「女=娘」ではなく「女=嫁」という話だが、大いに脱線してしまった。
一つ読み方を間違えると、まったく文脈を取り違えてしまう。ある文書を読みながらそのことを大いに実感しながら、一つの文字を読み、理解するむつかしさを実感している。

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