津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■高田廉一先生の遺稿をまとめる

2019-08-17 20:43:01 | 熊本史談会

                    
                                                                   

 「平成肥後国誌」の著編者の高田廉一Drは、私が親しくDrと表示するようにお医者様であった。
独力であの大部の「平成肥後国誌」を刊行されたのである。熊本の歴史に興味ある人ならば、一度はこの著偏書に目を通されたことであろう。
そして大いなる恩恵を拝受している。
史談会の大先輩であり、大師匠であるが大変親しくしていただき、あちこち私の車にお乗せして出かけたものである。
街角の食堂をよくご存じであちこちでラーメンやチャンポン、中華料理をご一緒したりした。コーヒー店で数時間過ごすこともあった。
最晩年は病で寝込まれ、どんなに連絡を取ろうとしても拒絶され、そして訃報に接することになった。まわりまわって死去の情報が届いたが、お葬式に関する情報さえご家族が秘匿され出席がかなわなかった。
史談会の若い友人N君は、先生に心酔した最後の弟子とも言ってよかろう。私が証明するところである。
一周忌にはお墓参りをするからと、誘われて嘉島町のお寺を訪ねてお参りしたことであった。
先生の膨大な書籍や写真、いろんな著作の原稿や、数多くの愛用のカメラや、いろんなチラシ、其の他雑多な収集品が残された。
熊本の「大宅壮一文庫」みたいなものである。それらの遺品のかたずけをN君がかって出た。週一で数か月に及んだ。
ご家族が引き取られたものは、貸倉庫にはこばれN君も加勢をして分別作業が進められた。
そして、ご家族が廃棄しても良いという、原稿や数万枚という写真やネガ等をN君が引き取ったのである。
処が、膨大な蔵書家であるN君の部屋には収納不可能な状態となった。
そこに救いの手を差し伸べられたのが、同じく史談会のO様である。
熊本地震でご自宅は半壊、ようやく住宅の建設が始まったが現在は「見なし仮設住宅」のマンション住まいなのだが、ここに段ボール箱にして20個ほどを預かっていただいている。今年の末には新居に入居されるが、この段ボールをまた引っ越しさせねばならないのだが、行く先が見つからずこれが大問題である。N君にしてみればDrの最後の愛弟子として、処分などは考えられないのである。

N君は今回、先生が「森都医報」に連載された102回に及ぶ原稿を整理して、これをDVDに焼き付けて私にも頂戴したところである。
                                
彼の努力には大いに頭が下がる。先生も大喜びされているに間違いない。
史談会で講話などをお願いすると、「しゃべりきらん」と仰って、強力に拒否されるDrであった。
個々でお話するにはあまり能弁ではないが私やN君にはよくお話をされた。
まだまだいろいろ教えていただくことが沢山あったが、誠に無念のお別れであった。もうなくなられて4年になる。
N君は若いのに御命日の前後に日を選び毎年お墓参りを欠かさない。刊本になっていない原稿を大事に保管しているが、これを刊行するのが彼の望みである。彼の希望が叶うようになんとか方策を考えなければならない。

思いがけず先生の遺稿にふれ、先生が母校・久留米大学医学部同窓会会報に連載させた、熊本のに関係する歴史上の人物の論考14編も何とかまとめなければならないと考えている。この遺稿を読むといろいろお手伝いをした思い出が浮かんでくる。

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■元和九年・十一月「宇佐郡今成村庄屋等申状案」

2019-08-17 16:24:55 | 細川小倉藩

                                  
17宇佐郡今成村庄屋等  
|     

  申状案        |     申上覚
   牧武次知行所    |   宇佐郡横山之内今成村、牧長三郎殿御知行高弐百石分、田畠ニ畝さほつまり、はまり悪敷、中下
   走り百姓      |   ニ付申所を元高上々ニ罷成、迷惑仕候、其故、御百姓五人走り、居不申候、男女ニ廿六人走り申

             |   候ニ付、残百姓共役目等迄仕、めいわく申候、今度御掟之任旨、残百姓共申上候事
             |       以上

             |     元和九年十一月十八日               庄や 助左衛門
             |                              百姓 源左衛門
   奉行等宛      |    小倉御奉行衆様                     同 伝三郎
             |                                 助九郎

             |                                 孫三郎
             |
   惣奉行等用状案   |
   竿違ハ次ノ検地ニ  | 一、竿違之所は、重而之検地を相待可申候事 
   郡役ノ免      | 一、御郡役之儀、高百石ニ付、拾石宛、免被遣候事
             |     元和九年十一月廿七日         西郡刑ア少
             |                        浅山清右衛門

   宇佐奉行宛     |         釘本半左衛門殿        仁保太兵衛
             |         上田忠左衛門殿        横山助進

             |                        
             |                        
   

 

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■天草島原の乱に関する年表を・・・

2019-08-17 15:58:08 | 歴史

 熊本史談会の8月例会は「天草島原の乱の高名と証拠状」を取り上げた。
会員以外の一般参加者の来場が多くて少々驚いたところだが、関心が御有りなのがうかがえる。

少々準備不足で、年表を作っておけばよかったな~と反省しきりである。
爺さまは後期高齢者健忘症で、話をしながら人の名前を忘れたり、年月を忘れたりして絶句すること度々であった。
今後の為にも「天草島原の乱・経過年表」を作ろうと思っている。
今日の説明のための手覚えのために、色々走り書きしたのだが、きれいにタイピングするには至らなかった。
次の例会の準備もあるが、来週一週間くらいは余裕がありそうなので、何とか仕上げたいと考えている。

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