津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■ああ知らなかった・・阿蘇二宮神社

2020-12-01 17:17:28 | 歴史

 私は阿蘇神社の二宮を陣内阿蘇神社、三宮を立田三ノ宮神社だとずっと思いこんできた。

肥後古記集覧を読んでいたところ、どうやらこれが思い違いだと知った。
「拾遺昔話一」は阿蘇家や阿蘇神社のことが書かれている。
この中から改めて二つの事実を確認した。

1、「阿蘇大宮司公神孫御代々之事」のなかに「阿蘇二の宮を阿蘇都媛と奉申候、草部吉見神社の御事也」とある。
 何と/\草部吉見神社だとは思いがけないことだった。
 「日本三大下り宮」の一つだとされる古い歴史と神々しい雰囲気をかもし、若い人たちにも知られる有名な神社である。

 しかしながら私は残念ながら当地を訪れたことがない。
 余談ながらこの神社は、史談会の会員であるK氏の祖父にあたられるR氏のご先祖様芹口氏(日子八井命の神統)が創建以来、天正兵乱に至るころまで宮司を勤められたとお聞きする。

2、私の地元にある「健軍神社」は阿蘇四ヶ社の一つとされ、近所にある「三郎」という地名は、健軍神社を治めた阿蘇三郎に由来している。
 この神社は、真西に向かって建てられていて、その参道は「八丁馬場」として知られる。
 阿蘇神社は東に向かい建てられているというが、これは「王城鎮護にため」だとされる。
 「健軍神社」の西向きにも理由があった。「異国しらき(新羅)をのそけたまハんとて・・・」とあった。

齢78歳にして又一つ知識を得た。処で「陣内阿蘇神社」を二宮としているのはどういう事なのだろうか?

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■これはなんだ?

2020-12-01 16:37:02 | オークション

                 肥後細川家所縁 木彫 九曜紋入雲図 木造家屋装飾 特大109㎝ 九州地区旧家引取 [.YQ]09櫻

                                                     

 ヤフオク二細川家所縁の品として、このような品物が出品されている。大きさが109㎝とある巨大なものだ。
古建築でいう所の「蟇股」といった感じだが、後背部の上の方にはひっかけ金物が付いている。
建築の専門家としても、どうもはっきりしない。古建築に詳しい大工さんにでも見てもらわないことには・・・
唯今1,000円、安いのは結構だが、なにせ物がでかい。興味はあるがこんなものを落札して、わが家に届いたことを考えると、奥方から怒られるのは目に見えている。
九曜紋も細川九曜ではないし、商家の看板のようにも見えるし・・・興味がおありの方に譲り致します。

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■細川小倉藩(418)寛永六年・日帳(六月十六日~十八日)

2020-12-01 07:06:21 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年六月)十六日~十八日

         |       
         |     十六日  奥村少兵衛
         |
         |一、楯岡孫市郎殿・佐藤将監・明石源左衛門へ被成遣 御書、歩之御小性渡辺加太夫ニ持せ、差遣
         |  候也、
         |  右三人衆ゟ 御書持せ被下、謹而致頂戴、忝奉存候、便宜も御座候は、御請仕度候間、御知せ可
         |  被下由、使者を以被申聞候也、
鷹師巣鷹野捉飼野 |一、渡辺三十郎被申候ハ、すたか共を明日ゟつかいニ罷出候、就其、御小人二人宛入申候間、申付候
ニ小人ヲ要ス   |  様ニと被申候、一日二日宛間を置、節々可罷出候間、其分ニ申付候様ニと被申候、心得申由申候、
         |  手、其段御小人小頭所へ申遣候也、
         |一、安井長左衛門御算用相済、罷帰由被申候、甚丞・伝介手前ゟも人そへ可申由候処、奥村少兵衛居
         |  合申ニ付而、其通化申由申候付、可申由、請合候也、

         |       
         |     十七日  加来二郎兵衛
         |
         |   (有吉英貴)(米田是季)
家老等蘇鉄ヲ見分 |一、頼母殿・監物殿ゟ、両使にて承候ハ、江戸へ被召寄候そてつ見に罷出候、さて/\念ノ入たるこ
シ荷拵ヲ賞ス   |  しらへ見事候、何もハはや見被申由候、如何様面にて可被仰由候事、
         |  (沢村吉重)
蘇鉄ノ日覆ニ畳表 |一、大学殿ゟ使者にて承候ハ、昨日ハ蘇鉄の日おゝいの御用ニ、ひぜん表をかい申様ニと御座候而、
ノ用       |  御印帳に御書付候ニ付而、印を押申候、はやひぜん表を調候哉、若未調不申候ハヽ、平三郎所ニ、  
ひぜん表     |                                    (可政)
         |  下々ノ表如何程も在之由申候間、是にてつゝませ候様ニと候、左候処ニ、加々山主馬被参候ニ相
         |  尋候処ニ、はや悉つゝミ調候由申候、此方ゟ申候ハ、前かともひぜん表入候時、御国之下ノ表
畳奉行      |  ハ如何可在之哉と吉田源七郎ニ相尋候ヘハ、御国之下ゟハひせんハやすく御座候由、申候ニ付、
         |  ひせんと書付進之候由、申候処ニ、大学殿使者申候ハ、平三郎ニ右之儀ニ付、我等使ニ参候が、
         |  兵三郎申候ハ、下々表ハなきかと、主馬殿ゟ御尋候ニ付、無之由申候、下々ノ表ハあるか共、な
畳屋平三郎聞へザ |  きか共、御尋なきニ付、何共不申由、申候通申候、それハ兵三郎申分きこへ不申候、此方ゟ、下
ル申分      |  ハ無之かと申候ハヽ、下々にても、下にても何ほとも在ノ由、可申を、さりとてハきこへさる申
         |  分ニ候、併、先昨日ノ分ハ仕廻申候間、重而得其意申由、返事申候事、
         |  (規矩郡)                                          (採銅所、田川郡)
呼野金山囲結奉行 |一、呼野金山かこいゆい奉行として、冨田十太夫与村上伝左衛門・横田権佐与矢野伝介、さい銅
囲ヒ了ル     |  処両所共ニ仕廻申由にて、罷帰候事、

         |         
         |     十八日  安東九兵衛
         |
蘇鉄運送船出帆  |一、蘇鉄舟今日出船候、御奉行林源太夫ニ相渡候物覚
江戸ヘノ書状ノ覚 |  一、拙者共言上壱つ、
         |   (松井興長)
         |  一、式ア少殿 同壱つ、
         |   (松井興長室、三斎女)
         |  一、御こほ殿 同壱つ、
         |  一、金山衆ゟ 同壱つ、
         |  一、佐藤将監ゟ御請壱つ、
         |  一、明石源左衛門ゟ同壱つ、
         |    右、何茂壱つ文箱ニ入也、
         |                         (自徳院、松井康之室、沼田光長女)
こほヨリ自徳院宛 |  一、方々への状とも一からげ、内ニ 御こほ殿よりしとくゐんとのへ被遣候御文箱壱つ有、式ア少殿
         |     (坂崎成政)
         |    ゟ坂清左衛門へ被遣候状壱つ有、
         |     (定直)               (珍辰)
         |  一、楯岡孫一郎殿ゟ坂清左衛門・津川四郎右衛門尉殿への文箱壱つ、
         |    右之分、源太夫ニ渡候也、
豊後横目ヘノ音信 |  一、大坂寺嶋主水へ遣状壱つ、内ニ豊後御横目衆へ御印信物買被下候へとの切手壱枚有之也、
物購入      |
         |  一、京衆への状壱つ
         |    右之分は、右乗せ上候御船頭岐木與右衛門ニ渡也、
         |一、田川郡御借米奉行衆、御算用仕廻候而罷帰候由、被申候也、

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