津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川小倉藩(445)寛永六年・日帳(九月九日)

2020-12-29 17:33:58 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年九月)九日

         |        (ママ)                
         |    九日   
         |
         |      (朽木昭知)三淵藤英四男、三斎従兄弟               内匠内
三斎書状ノ請取  |一、三斎様ゟ三淵内匠所へ成被下 御書、慥請取申候、       宗像儀左衛門(花押)
         |                                    (ママ)
         |一、三斎様ゟ私へ被成下 御書壱通、慥ニ請取、致頂戴候、       吉田縫殿(花押)
         |                                  (元五)
         |一、三斎様ゟ被成下 御書、私請取、頂戴仕候也、          志水伯耆守(花押)
         |      (続重政)                               (敦行)
         |一、三斎様ゟ亀介所へ成被下 御書、私請取申候也、        続平右衛門(花押)
         |                                 (英貴)
         |一、三斎様ゟ成被下 御書、■慥請取申候也、           有吉頼母佐(花押)
         |一、三斎様ゟ成被下 御書、慥請取、致頂戴候也、       服部九郎左衛門(花押)
         |一、三斎様ゟ成被下 御書、慥請取、致頂戴候也、
         |             但、黒部吉兵衛ニ被成下也、慥届可申候、安東九兵衛(花押)
         |      (牧興相)                             左馬允内 
         |一、三斎様ゟ左馬允へ成被下 御書、慥ニうけ取申候也、      下間左太夫(花押)
         |      (嶋正次)
         |一、三斎様ゟ又左衛門尉へ成被下 御書、慥ニうけ取申候也、   嶋少右衛門尉(花押)
         |                               藪市正内
         |一、三斎様ゟ市正へ成被下 御書、慥請取申候、          前田左兵衛(花押)
         |           (正直)
         |一、高田十兵衛・河喜多五郎右衛門尉へ 三斎様ゟ成被遣 御書、私慥請取申候、則相届可申候也、
         |                             深野二郎右衛門尉(花押)
         |一、安井長左衛門尉・真野九兵衛・松村太兵衛・林長兵衛・服部五郎兵衛・服部左太右衛門、原田又
         |  左衛門、
         |  右ノ衆へ 三斎様ゟ成被遣 御書、私慥請取申候、則相届可申候、以上、
         |                              服部九郎左衛門(花押)
         |一、三斎様ゟ山田市左衛門尉ニ被成下御書、慥請取申候、追付届可申候也、
         |                                不破平太夫(花押)
         |一、三斎様ゟ寺井十兵衛ニ被成下候御書、慥届可申候、       不破平太夫(花押)
         |一、三斎様ゟ国友半右衛門・同式右衛門・佐分利兵大夫・杉山藤兵衛ニ被成下候御書、慥ニ請取申候、
         |  則届可申候也、                      山田加右衛門(花押)
         |一、三斎様ゟ大竹内蔵・山田新十郎・井関伝蔵・西郡長次ニ被成下候御書、慥請取申候、追付届可申
         |  候也、                         ■安場甚左衛門(花押)
         |                            (小崎)
         |一、小崎忠五郎ニ 三斎様ゟ被成遣 御書、私請取申候、追付與次右衛門ニ渡可申候也、
         |                               加来二郎兵衛(花押)
         |             (腫)
         |一、加来二郎兵衛事、此中種物を相煩、快気仕、今日登城仕候事、
         |一、村田半右衛門知行所へ参、病死仕候事、
 

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■三淵藤英と一族

2020-12-29 07:13:21 | 人物

                      

 今回のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」に於いては嬉しいことがいくつもあった。
その一つが、谷原章介演じる処の三淵藤英がかくも多くの場面に登場し、全国区に知ってもらったことであろう。
それでも細川藤孝(幽齋)の兄であるということまで、理解をしておられた方はあまり多くはなかったのではないか。
歴史的デビューを果たしたように思える。

下図の如く、藤英と細川藤孝は三淵晴員の子だが、ご承知の如く藤孝は将軍・義輝と船橋宣賢女の間に生まれた男子だと伝えられている。
藤孝を身ごもったままで晴員に下しおかれたというから、二人は同姓ながら、異父・異母兄弟ということになる。
二人の間に武田信重室となった「宮川」がある。ガラシャ夫人生涯の時、夫人の指示により玉造の屋敷から落ちのびた叔母と紹介されるのがこの人である。
藤孝の下に大徳寺の高桐院開山の玉甫和尚と、南禅寺の長老元冲がいるが、この二人の生母は船橋宣賢女の可能性はある。
細川家家臣の三淵家の祖の好重は末弟、生母は山名民部少輔女であることから、三淵氏は山名姓を名乗ったりしている。
一番下に女子があるがこの系図では欠落している。土御門久倄に嫁ぎ二条泰重を生んだ。


藤英の嫡男・秋豪は父と共に坂本城で戦死したとあるから、TVにあるような最後ではなく、壮烈なものであったのかもしれない。
秋豪の跡を継いだ藤利は、秋豪の弟・光行の嫡男である。
足利将軍家に最後まで仕えた藤英・秋豪の子孫は徳川家に仕えて明治に至っている。

               

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