津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■吉田縫殿助という人

2020-12-24 17:37:28 | 徒然

 毎日ご紹介している「小倉細川藩・日録」に寛永六年に入ってから盛んに「吉田縫殿助」の名前が登場している。
この人物は、細川家に枝葉を広げた豊後大友一族五家の内、細川家内に於いては大友義統の嫡流ともいえるが、大友・松野は名乗らず「吉田姓」である。
縫殿助は500石、義統からすると曾孫にあたる。能吏であったのだろう、肥後入国後は奉行を勤めている。
縫殿助の読みは「ぬいのすけ」だと確信しているが、縫殿進(ぬいのしん)の名にご丁寧にルビをして「ぬいどのしん」とする小説(島田真祐著・身は修羅の野に)がある。それも一か所にはとどまっていないから、これはわざわざそうしたと考えるべきなのであろうか?

                               義統五男        再興 
 大友宗麟---+---大友義統ーーーーーーー 義乗---+---義家(無嗣断絶)==*義孝・・・・・・・・・・→ (旗本大友家・高家)
                  |                        |
       |                       +---義親ーーーーー縫殿介・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→ (細川家臣五百石・吉田淳家)
       |
                  +----松野右京---+--主殿・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→ (細川家臣 二千石・松野孫三郎家)
       |       | 
       |       +---*義孝(嫡家相続)
       |       |
       |       +---義冬・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→ (旗本松野家)
       |
       +---利根川道孝---松野織部---+==亀右衛門==亀右衛門 ・・・・・・・・・・・・・・→ (細川家臣 千五百石・松野亀治家)
       |             |           
       |             +----善右衛門----又右衛門・・・・・・・・・・・・・・・→ (細川家臣 五百石・松野一葉家)
       |
       +---半齋--------八郎右衛門 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・-→ (細川家臣 千七百石・松野八郎家)

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■細川小倉藩(440)寛永六年・日帳(八月廿四日~廿六日)

2020-12-24 10:45:13 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年八月)廿四日~廿六日

         |                
         |    廿四日  安東九兵衛   
         |
清心円一貝ヲ伊藤 |一、伊藤金左衛門ニ被遣清心円一かい、御封ノまゝ、金左衛門内櫛坂孫右衛門ニ相渡候、
金左へ渡ス    |                         伊藤金左衛門内
請取       |                            櫛坂孫右衛門(花押)
三斎ノ上洛延期ヲ |一、三斎様御上洛相延候間、其心得被仕候へと、鏡善右衛門・白井兵介に申渡候事、
船頭惣奉行へ告グ |
神西某別苻へ湯治 |一、桑原主殿・神西與三右衛門尉、中津へ参上仕候由被申候、與三右衛門尉ハ豊後之別苻へ湯治仕見
         |                 (長門豊浦郡)
         |  可申候、別苻ニ而快気も無之候は、俵山へ湯治可仕と存候通、被申候事、
         | (曽根村、規矩郡) (同郡)
曽根・今井・大橋 |一、そね・今井・大橋御作事之儀、河田八右衛門尉ニ申渡候事、
村作事ノ命    |    (中津郡)
筑前へ走リシてん |一、一昨日、東小倉ノてんりうの小者筑前へ走越候ヲ、今村之新百姓とらへ来候ニ付、右ノ小者さ
りう寺小者一件  |  し候て居申候大わきさしヲ壱腰、右とらへ候百姓ともニ為褒美遣候也、請取切手をとり、御闕所
         |  奉行大靏六左衛門尉・波多里右衛門ニ渡置候也、

         |                
         |    廿五日  奥村九兵衛   
         |                                    (貧僧)
走リシてんりう寺 |一、吉田縫殿登城ニ而被申候ハ、てんりうノ小者町籠ニ入置申、坊主賄費仕候、ひんそうの儀候間、
小者町牢ニ入レ坊 |  何共めいわく仕由、被申候間、急度御誅伐被 仰付候儀にと被申候事、
主ニ賄セシム   |
町奉行坊主迷惑故 |
誅伐ヲ望ム    |
         |  (上毛郡)    宕
求菩提山中坊愛宕 |一、求菩提山中坊愛岩堂をたて申候間、材木拝領仕度由被申通、御郡奉行を以被申候間、御年寄衆へ
         |              (松井興長)
堂ヲ建ツルニ材木 |  も其段被申候へと申候処、式ア殿へ申上候ヘハ、御奉行衆へ今日も可被成御談合候へ共、今日は
拝領ヲ願ウ    | (清田乗栄)                 (沢)
家老ノ裁定ニ異見 |  七介殿へ御用御座候而被成御出候間、則少兵衛参候而、此段申候へと被仰候由被申候、此方申候
ハナシ      |  ハ、御家老衆ゟ遣し候へと被仰上ハ、申分有之間敷候由、申渡候事、
三尺斗リノ打物ニ |一、鍛冶仕事ノ内ニ、弐尺四五寸、三尺斗之打のへ申たる物之ニ、刀ゟ直段たかきもの有之様ニさた
刀ヨリ高直ノ噂  |                           〃
鍛冶ノ直ノ吟味ヲ |  御座候間、左様之直段之儀能々吟味被仕候へと、直段奉行衆へ申渡候事、
直段奉行へ命ズ  |

         |                
         |    廿六日  安東九兵衛   
         |                  (元次)             (与脱ヵ)
江戸ヘノ飛脚持上 |一、江戸へ之御飛脚、今日出船仕候、芦田與兵衛与矢野清右衛門・続亀助安藤市右衛門也、右両人持
リシ物ノ覚    |                              (重政)
         |  上り申候物覚
         |  一、三斎様ゟ 越中様へ被進候御返書 御文箱一つ幷 三斎様ゟ、江戸にて清田九一郎所へ被遣候
         |    しふかミ包ノ小箱壱つ、
         |  一、中津御奉行衆ゟ、三斎様大坂御蔵本御奉行衆へ被遣候状壱つ、
         |    (浅山)(田中氏次)
         |  一、修理・兵庫言上壱つ、
         |  一、金山之衆言上壱つ、
         |  一、伊藤金左衛門言上壱つ、
忠利書状下ル   |一、江戸ゟ御飛脚両人、寺本八左衛門与久野弥兵衛・山河惣右衛門与内田七左衛門、今日下着申候、
大阪ニ詰小早ナク |  我々共へ之 御書成被下候、大阪ニ詰小早無之候て、かり小早にて罷下候也、江戸を去十五日ニ
借小早ヲ用フ   |  立、大阪へ廿日ニ着、其まゝ大坂ゟ廿日ニ出船仕候事、
飛脚ノ行程    |
         |                               (三淵重政)(松井康之女)
         |一、右ノ御飛脚中津御奉行衆貴田権内・高橋兵左衛門へ之 御書壱通、右馬助殿御内へ 御書壱通持
         |  参候事、
請取       |一、右馬助内へ被成下 御書壱通、私請取申候、 右馬助内
         |                        竹内市兵衛(花押)

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■久しぶりの雨模様

2020-12-24 09:57:36 | 熊本

 雨が随分降らなかったせいで、乾燥しまくっていたので、わが家では加湿器が活躍している。
そんな中、今日は小雨ながら11月22日以来久しぶりの雨模様である。大した降りではないが、傘をさしての散歩はちょっと腰が引ける。
お昼からの具合をみてのことにしよう。
それでも買い忘れている、年賀状を買いに出かけなければならない。

奥方が買い物に出かけないかと、声をかけてみようかとも思うが、これは自分で出かけずばなるまい。

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