細川ガラシャ夫人(日本名婦傳より) 吉川英治
(四)
「誰も来てはならない」
と、忠興は、侍女や家臣にかたく云つて、灯もない室に、妻と、ながいあひだ對坐していた。
諄々と、彼は妻にい被聞かせた。
父の藤孝は、もう剃髪して、信長の死を弔ひ、光秀討伐の陣頭に立つ悲壮な覺悟を極めて
おいでになる・・・・
自分としては、猶更、さうなくてはならない。たとへいかなる理があらうとも、この國の地
上に於ては、臣下が君を弑逆した罪を、寛大にはすまして措かないのである。
「・・・・伽羅奢。そなたは、卑怯であらうぞ。この苦しい忠興の意も汲まず、後に遺る子も思は
ず、この場合、何よりやさしい死を選ぶ所存か。たとへ忠興の側を別れ去らうとも、妻ならば
妻の道を、母ならば母の道を、もつと強く生きぬいて、しかも後に、大逆人の娘といふ汚名を
も雪いでみようとする氣もないのか」
ふと良人のことばが、一滴の甘露のやうに、心の底へぽとと落ちた。
伽羅奢は、常の聰明な自分に回つた。ふだんは、良人は氣短かで氣のあらい人と考えてゐた
のが、今はあべこべにある事に氣づいた。
うつゝの底から浮かび上つたやうに・・・・
「参りまする。どんな山の奥にでも」
いつもの素直な聲で答へた。
鏡に向ひ直した。そして静に身づくろひすると、やがて、日頃の老女・侍女・乳母までを呼
んで、別れを告げた。・・・・わが子の與一郎へも、最後の乳ぶさを與へ、たくさんな召使の涙の
中に、その日の深夜、城の搦手門から山駕にかくれて、三つの松明に護られながら山へ落ちて
行つた。