津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■吉川英治著・日本名婦傳より「細川ガラシャ夫人」(四)

2020-12-07 10:03:47 | 展覧会

     細川ガラシャ夫人(日本名婦傳より)   吉川英治

            (四)

「誰も来てはならない」
 と、忠興は、侍女や家臣にかたく云つて、灯もない室に、妻と、ながいあひだ對坐していた。
諄々と、彼は妻にい被聞かせた。
 父の藤孝は、もう剃髪して、信長の死を弔ひ、光秀討伐の陣頭に立つ悲壮な覺悟を極めて
おいでになる・・・・
 自分としては、猶更、さうなくてはならない。たとへいかなる理があらうとも、この國の地
上に於ては、臣下が君を弑逆した罪を、寛大にはすまして措かないのである。
「・・・・伽羅奢。そなたは、卑怯であらうぞ。この苦しい忠興の意も汲まず、後に遺る子も思は
ず、この場合、何よりやさしい死を選ぶ所存か。たとへ忠興の側を別れ去らうとも、妻ならば
妻の道を、母ならば母の道を、もつと強く生きぬいて、しかも後に、大逆人の娘といふ汚名を
も雪いでみようとする氣もないのか」
 ふと良人のことばが、一滴の甘露のやうに、心の底へぽとと落ちた。
 伽羅奢は、常の聰明な自分に回つた。ふだんは、良人は氣短かで氣のあらい人と考えてゐた
のが、今はあべこべにある事に氣づいた。
 うつゝの底から浮かび上つたやうに・・・・
「参りまする。どんな山の奥にでも」
 いつもの素直な聲で答へた。
 鏡に向ひ直した。そして静に身づくろひすると、やがて、日頃の老女・侍女・乳母までを呼
んで、別れを告げた。・・・・わが子の與一郎へも、最後の乳ぶさを與へ、たくさんな召使の涙の
中に、その日の深夜、城の搦手門から山駕にかくれて、三つの松明に護られながら山へ落ちて
行つた。

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■細川小倉藩(424)寛永六年・日帳(七月六日~七日)

2020-12-07 06:48:21 | 展覧会

                      日帳(寛永六年七月)六日~七日

          〇 四日・五日分記載ナシ、落丁か

         |       
         |     六日  奥村少兵衛
         |                                       (天)
求菩提山上宮神殿 |一、求菩提山ゟ上宮御神殿上葺成就仕二付、為御祈祷、目録・御洗米被差上候、則御主主二納置候
上葺成就ノ祈祷目 |  也、
録洗米ヲ上グ   |
村上七左海上絵図 |一、村上七左衛門尉ニ海上之絵図被仰付、三月之末ニ爰元出船仕、絵図を相調候而、昨日罷下候ニ由ニ
ヲ調製ス     |  而、登城被仕候也、
忠利書状ノ覚   |一、歩の御小性松岡角太夫・唯今被罷下候ニ、持参被仕候御書之覚
         |           (長元)   御書請取人備前内
         |  一、御書壱通 小笠原備前守殿      飯田次兵衛(花押)
         |                同請取人金左衛門内
         |  一、同 壱通 伊藤金左衛門尉      荒瀬左平次(花押)
         |                同請取人藤左衛門内
         |  一、同 壱通 横  山 藤左衛門      宮木 又蔵(花押)
         |                同請取人作左衛門内
         |  一、同 壱通 佐分利作左衛門      藤村安兵衛(花押)
         |                同請取人亀右衛門内
         |  一、同 壱通 井  門  亀右衛門     久佐吉左衛門(花押)
         |  一、同 壱通 修理・兵庫
         |  一、同 壱通 御金山参人衆へ被成遣候、

         |       
         |     七日  安東九兵衛
         |
幕府豊後横目等へ |一、苻内御横目衆へ 殿様ゟ被進之 御状ニ、式ア少輔殿ゟ御そへ状被成候て、御飛脚両人ニもた
之忠利書状ニ松井 |  せ、苻内へ遣候也、
興長状ヲ添ユ   |
三斎七夕ノ帷子ヲ |一、谷忠兵衛、夜前更申候而、中津ゟ罷帰候由にて、登城被仕候、七夕之御帷子上申候処ニ、意外
念入ニ吟味シ上々 |  三斎様被為御念入、こなたゟ被進候御帷子を御自身被成御覧候而、上々と札を被遊候而、御帷子
ト札ニ記ス    |  ニ御付させ被成、御納戸衆へ御渡させ被成候由にて候、左候而、忠兵衛ニ炎天苦労仕候由ニ而、
         |  殊外御念入申たる御振舞被下候由、忠兵衛被申候也、
忠利小笠原長元へ |一、小笠原備前殿御登城被成候、小的之儀具ニ書付、江戸へ差上候様ニと被仰下候、又矢筒ノ緒ハくれ
小的ノ書ノ上呈ヲ |  なゐなとにて四打ニ申付可然由、被仰渡候事、
命ズ       |
         |                     (梨子地) (蒔絵)
矢筒ノ仕様    |一、矢筒ハ常ノゟハちと長クさせ、一やうニ銀なしぢか、まきへかニさせ可然由、又矢筒ノ緒ハくれ
         |  なゐなとにて四打ニ申付可然由、被仰渡候事、
         | (米田是季)
         |一、監物殿ゟ備前殿御同道にて被成御登城候事、
         |                                    (藍  革)
弓ハ白木     |一、備前殿被仰候ハ、弓ハ白木、但、とうハつかい不申由、被仰候也、にぎりハあいかわの由也、
         |                              〃
         | (藍島、規矩郡) 黒キ          (規矩郡)         (沼田延之)
藍嶋ノ野牛ノ死体 |一、あいの嶋ノ〇野牛壱疋死候て、長浜之方へ流参候を、長岡勘解由殿もの門司ゟ参候とて、見付参
         |         
漂着ス  犬打へ |  候由にて、勘解殿ゟ持せ、御上候を、犬打ノ久左衛門尉所へ遣候、皮をはぎ、身ハ其方取候へと
渡シ処理方ヲ命ズ |  申付候、皮も毛ぬけ候ハヽ、なめし候へと申渡候事、但、つのも上ヶ候へと申付候事、
         |一、奥村少兵衛事、娘以外相煩候ニ付、登城不仕候事、

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