確認したいことが二三あって、21日(月)に図書館に出かけたら何と図書整理とかで休館日(22・25日も)、23日は天気が悪く、24日は別の所用で時間がなく・・・28日以降は平常休館(正月休み)
となると今日と明日の日曜日の二日しか開館していない。
別に年を越しても良いのだが、今日は天気も良いことだしと自転車で出かける。
あるお宅の先祖附+有禄士族基本帳をコピー、その他もろもろ調べ物、二冊の本を借りて一時間そこそこで退館。
帰りは道を間違え江津湖に出てしまった。良い天気なので散歩をする人たちの多いこと、密にならず大いに自然を満喫しておられる。
「行きはよいよい、帰りは怖い」のなだらかな坂を、ギアを一番弱くしてなんとか乗り切った。
途中の公園では、なんと満開の山茶花のしたで7~8人の女性がシートを広げ車座でお茶会(?)のご様子、テニスコートも、子供の遊具がある広場も大いに「密」状態、熊本も連日新規感染者の数がうなぎのぼりの状態なのに・・・気持ちにゆるみがある。
私はといえば、マスクをしたまま自転車で乗り切ったが、わが家についたころには呼吸困難の状態でへばり込んでしまった。
(教訓:マスクをしたままの自転車は・・やばい)
日帳(寛永六年九月)朔日~二日
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| 朔日 奥村少兵衛
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福王十蔵帰着ス |一、福王十蔵、夜前罷下候由にて、登城仕候也、
京都へ屏風問合ス |一、佐野嶋平兵衛のせ上り候御船頭小崎吉助ニ、京都へ屏風間相・大間相、又美濃帋可被買げとの切
問合美濃紙買入ノ | 手、差上せ申候事、
切手ヲ送ル |
金山奉行宇佐宮へ |一、春木金太夫被申候は、宇佐へ金ノ御へい、来ル廿日ニ上可申と存候、其次而ニ、うさ郡ニ而金も可有
金幣ヲ上ゲントス | 之候哉、かけさせ候て見可申候、又次而なから、私知行うさちかくニ御座候間、一日ノ逗留ニ参
| 候而、免なとも、極申度存候、可然候間、ためしをも被申付、又知行所へも可被参通、申渡候事、
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| 二日 安東九兵衛
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宇佐宮永勝院祈祷 |一、宇佐永勝院ゟ、当年之御祈祷之由ニ而、御札持参被仕通、志水伯耆殿ゟ、使者御添候而御上候、
札ヲ上グ | 則本丸へ御上候而、林隠岐ニ御渡候へと申渡候也、
船頭村上某願書 |一、女壱人、此女前廉は御船頭岡田市介と申ものゝ女房にて御座候、後家ニ成候而、御船頭舟瀬九郎
縁者ノ後家幷ニ伜 | 兵衛と申ものゝ女房ニ罷成居申候処、又後家ニ罷成、爰元かんにん不罷成ニ付、十七八年以前ニ
ヲ門内ニ入ルゝヲ | 中国へ参、其後筑前へ罷越、五六年居申由申候へ共、筑前ニも頼可申ゆかりも無御座故、かんにん
乞ウ | (長門豊浦郡)
| 不罷成、此節下関へ参候へ共、とかく御国ならてハと存由ニ而、此中中国ニ置申せかれ壱人めし
| (規矩郡)
| つれ、今日長浜迄参申候、かの女ハ私女房為ニおはにて御座候ゆへ、御門内へ入申儀、私ヲ
| 頼申候、併、伺可申上と存、御門内ヘハまつ入不申候、此女幷せかれの儀、別条無御座候間、御
| 門内へ御入被成候而可被下候、以上、
| 寛六九月一日 村上七左衛門
| 白井兵介殿
船頭惣奉行宛 | 鏡善右衛門殿
| 右ノ通之書物、白井兵介持参被仕、御門内へ御入可被下哉と披申候間、御入候てもくるしかるま
家老ノ指図ニヨラ | しくと存候、併、我々分別まてにて被入候へと申渡儀不罷成候間、御家老衆へ書物持参被仕、様
シム | 子可被申上候、左候て、御家老衆御差図次第ニ可被仕通、申渡候事、
| (敦行)
忠興ノ使者中津へ |一、三斎様へ、九日之呉服ニ被成御添、被進之御文箱、続平右衛門尉ニ相渡候、後復ヲも御納戸衆ゟ
出立ス | 平右衛門尉被請取、今日昼より、中津へ御使者ニ被参候也、