津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■筆順

2020-12-14 17:19:44 | 徒然

                       

 「今年の漢字」は「密」ということになったが、今年はこれ以外の漢字は浮かんでこなかっただろう。
清水寺管主の雄渾な文字はいつもながら感心するが、過去「あれっ?」と自分の間違いに気づくことが有った。
筆順である。私は5・6年ある講座の講師を務めたことが有るが、開講の時に「私の筆順は間違いが多いから・・・」と前もって断りを入れなければならないほどいい加減である。
奥方や子供たちから大いにひんしゅくをかった。
「必」の字も「心にノ」と当たり前のように書いていたが、間違いに気づいたものの、正式に書くと今もって形よく書けないでいる。
古文書に親しむようになってから、筆順を知り改めた文字がいくつもある。
「飛」などがそうだが、今年孫たちがやってきたとき、筆順の話になり、「飛という字がきれいにかけるとすっきりするよね」と言っていたが、私は正式な筆順ではこれも形が取れず難儀している。
かえって、御家流の崩し字で書く方が形がとれる。

「武」という字は「戈をおさめる(止)」という意味から、まず戈「戈」を書いた後「止」を書いていたが、これも間違いと知り、漢字の意味と筆順は全く関係ないことに気づいた。

古文書に触れると筆順が全く違うことに気づかされ、大いに勉強になる。

                  筆順        

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■お安く読む‐祥伝社新書「渡来氏族の謎」

2020-12-14 14:17:03 | 書籍・読書

                                                                                   

                       加藤謙吉著「渡来氏族の謎」祥伝社新書

 熊本史談会の O氏は「蒙古襲来絵詞」を宮内庁に納められたが、古い家柄でその祖は東漢氏だとされる。
又、私の縁戚にあたるS氏は、秦河勝を祖としており、その系図には「河勝から何代目の孫」という書入れがある。
「渡来氏族」の子孫が身近なところにあるので、コロナ禍の中持て余す時間を「お安く読む」事が出来る新書で勉強しようという魂胆である。

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■細川小倉藩(430)寛永六年・日帳(七月廿三日~廿五日)

2020-12-14 08:57:39 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年七月)廿三日~廿五日

         |       
         |     廿三日  加来二郎兵衛
         |
預リノ船頭ノ下女 |一、吉田縫殿登城にて被申候ハ、あたらしや與左衛門預り申御船頭の下女、町人儀にて御座候間、用
ノ扱       |  心かた/\何とも迷惑仕由、御理申候、いかゝ可有御座哉と申候由、被申候間、修理申候ハ、其
         |  段は江戸へ申上、被為得其意旨、被成 御書候間、其まゝ預り候へと可有御申付由、申渡候也、
         |
松丸附少将は安場 |一、安場仁左衛門尉登城にて被申候は、松丸殿ニ而召仕候少将と申仁、前廉仁左衛門尉ためニしうと
仁左衛門ノ姑   |  にて御座候処ニ、仁左衛門尉女房相果申候、其後松丸様御さいはんにて女房果候とも、仁左衛門
安場仁左妻死後松 |  を古文ニ仕候へ之由被仰付、契約仕候、然処ニ、今度松丸殿被成御遠行砌、 三斎様へ御書置被成
丸ノ指示ニヨリ少 |  被置候、持候而、少将中津へ被参候処、 三斎様被成御意候は、少将儀久敷奉公仕たるものゝ儀
将ノ古文トナル  |               
松丸三斎へ遺書ス |  も御やしないか被成間、〇得其意通被成 御意候ニ付、少将被申候は、仁左衛門尉と右之通契約仕
三斎少将へ後立ヲ |  申候間、仁左衛門尉ニ懸り申度通被申上候ヘハ、ともかくも心次第ニ可仕■候、うしろ立ニは、  
役ス  御礼ニ中 |   三斎様を持候へ之由被 仰付、罷帰候間、為御礼中津江致参上度由、仁左衛門尉被申候間、一段
津ニ行クヲ願ウ  |  可然候、其段式ア少殿へ申理、被参候へと申候ヘハ、はや右之通、式ア少殿へ申候ヘハ、尤之儀
         |  ニ候間、早々参候而可然由被仰候、各へ茂此通化申入之由、被 仰ニ付、如此候由被申候也、
         |
屋敷拝領願案   |     望申御屋敷之事
         |      (景広)
村上景広下邸   |  右ハ村上八郎左衛門殿下屋敷にて御座候、間数ハ表六間ニ、入六間弐尺の御屋敷也、是ハ何方へ
         |  被遣候相残にて御座候間、被下候ハヽ、可忝存候、以上、
         |   寛永六年      北ノ御丸御番ノ者
         |      七月十一日     原久右衛門
明屋敷奉行宛   |      中山左次右衛門殿
         |      不 破   平 大 夫 殿
         |
屋敷拝領願案   |     拝領仕度屋敷之事
         |   一、表口八間ニ、入十七間也、
         |
         |     (氏次)
田中氏次明邸   |  右ハ田中兵庫殿先屋敷にて御座候、拙者望存候間、拝領仕候様ニ被仰上可被下候、以上、
         |   寛永六年
         |      七月四日      沢権七
         |      中山左次右衛門殿
         |      不 破   平 大 夫 殿
         |
         |              今日
裁可       |  右、弐枚共ニ可被相渡由、申候而印を押、左次右衛門ニ相渡申渡候也、
         |              〃〃〃〃〃〃       〃〃
         |一、明後日廿五日ニ、江戸へ遣候飛脚ハ、桑原主殿与福嶋五兵衛と申候、  

         |       
         |     廿四日  奥村少兵衛
         |
浦奉行水夫改旁浦 |一、御浦奉行両人、水夫之改旁ニ、来月十日比ニ浦々廻り申由、被申候事、
廻リ       |
絵師仁左衛門中津 |一、御絵書仁左衛門、今日中津ゟ罷帰候由申候て、松の御丸へ上り、申候ハ、 三斎様九月朔日ニ御
ヨリ帰ル 三斎九 |  上洛可被成候間、可得其意旨被 仰出候由、承候事通申候事、
月朔日上洛ノ予定 |                            〃  
         |  (松井興長)(牧興相)
忠利書状     |一、式ア殿・左馬殿者罷下候ニ、 御書被下候、又 三斎様へ被進之御文箱壱つ被成御下候、式ア殿
         |  ゟ持せ被下候、中津へ則持せ上申候也、

         |       
         |     廿五日  安東九兵衛
         |
素麺数寄屋畳表ヲ |一、今日、素麺幷御数寄や表持候而、江戸へ罷下候御飛脚乗せ上候御船頭野間惣兵衛也、
江戸へ上グ    |
大黒屋長左衛門  |一、大黒や長左衛門尉舟江戸ゟ戻候ニ、中野権佐ゑんす一箱、坂崎清左衛門尉ゟ書状相添、被差越
ゑんす      |     (料)
         |  候、科目ハ三十三斤九十め余と在之也、長左衛門箱持上り候也、
眼病ニ誓紙ヲ以テ |一、臼杵少太夫登城にて被申候ハ、臼杵半左衛門尉以外目を煩、一方ハはやつふれ申候間、煩無紛と
届クベシ     |  の誓紙を可被調上由、申渡候事、
         |
科人ヲ借リ様斬リ |一、田中理左衛門・本庄勘兵衛被申候ハ、監物殿ゟ御かり被成候科人、ためし申候処ニ、長柄ノ御こ
         |  し物三つ、内弐こしハ切レ申候、壱こしハきれ不申由、被申候事、

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