津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■長岡左仲宛細川齊茲書状

2020-12-22 20:43:47 | オークション

                       B-692【真筆】細川斉茲 肉筆紙本 書簡 掛軸/大名 熊本藩細川家第八代当主 越中守 古文書 書画                               
             

                 宛先の長岡左仲は、細川刑部家嫡家の7代・興貞、9代・興泰の名乗り名だが、9代目ではないかと思われる。

                         一筆申入候 我等儀
                    去七日出勤今日参勤之
                    御礼申上被
                    上意難有仕合此段為可
                    相述如此候 恐々謹言
                             越中
                                     四月十一日 齊茲花押

                                         長岡左仲殿

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■細川小倉藩(438)寛永六年・日帳(八月十八日~廿一日)

2020-12-22 10:00:55 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年八月)十八日~廿一日

         |                
         |    十八日  奥村少兵衛   
         |
三斎ノ中津侍中へ |一、中津衆へ 三斎様ゟ之御借銀帳壱冊、又御借米之運賃帳壱冊、中津御奉行衆ゟ持せ被差越候を、
ノ借銀帳幷借米ノ |  豊岡甚丞・粟野伝介ニ渡申候事、
運賃帳      |
         |     (作)
造作銀惣割苻ノ目 |一、造佐銀惣割苻ニ成申目録壱つ、右同前ニ参候を、中神與兵衛ニ渡申候也、
録        |
鉄櫓ノ下ノ門番病 |一、鉄矢蔵之下の御門番竹内與右衛門、昨日病死仕候由、相番又右衛門申候也、
死        |

         |                
         |    十九日  安東九兵衛   
         |
         |一、糸川長右衛門尉登城にて申候ハ、瀬戸内へ参、今朝罷帰候由ニ而、登城被仕候事、
中国ノ隼落シ所ノ |一、中国にて、御鷹師衆隼おとし申所之覚、書付可申と存候処、しかとしれ不申ニ付而、書つけす
覚書       |  候、重而所しり申度候旨、河井権丞ニ可相尋候間、権丞ニ能被存知候へと、申渡候也、
         |一、泰勝院殿にて、明日ノ御法事ニ、御奉行所ニ御座候御茶遣し申候事、但、御茶道ハ岩正恵三ニ遣
         |  候事、

         |
         |        (ママ)                
         |    廿日    
         |
         |   (房勝)                            (同重政)
続房勝知行所ヘノ |一、続少右衛門登城にて被申候は、少御隙を被下候へかし、亀助知行所へ参度由、被申候間、御家老
賜暇願      |  衆へ其通被仰理候て、可有御越通、申渡候也、
         |
江戸詰ノ掃除坊主 |一、今日、江戸へ差遣申御掃除坊主五人、長斎・宗閑・玄徳・宗古、今一人は新参坊主成、此者とも
持下ル物ノ覚   |  持下候物之覚
         |  一、我々共言上ノ状三つ、
         |  一、金山ゟノ言上壱つ、
         |  一、式ア少輔殿ゟ言上壱つ、
         |      (秀元)
         |  一、毛利■甲斐守殿留守居衆丞之写壱つ
         |  一、らんノ絵壱包、
         |     右ノ分一つ文箱ニ入候也、
         |  一、以策ゟノ返事ノ文箱壱つ、
         |    (蜂須賀家政)
         |  一、蓬庵様ゟノ御返書ノ文箱壱つ、
         |    (阿片)
あひん      |  一、あひん 大文箱ニ入、三百四拾三匁也、
         |  一、其外、江戸御供衆への状共壱からげ、
野牛ノ塩漬糠漬日 |  一、野牛しほ漬、かす漬、ひニほしたるを三色差上候事、
干シ       |
         |  一、真下七兵衛やとゟ、七兵衛かたへ遣被申候かミ包壱つ也、
         |      (畑)
         |     右長斎ニ相渡、遣申候也、

         |                
         |    廿一日  奥村少兵衛   
         |                             (河田)(矢野)
地震屋完工ス   |一、野村孫兵衛申候は、今日まてニ御地震屋悉仕廻申候由申候、八右衛門・勘右衛門被申候は、罷帰
         |  候而、甘候へ之由ニ付、罷帰由、申候也、

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■肥後国細川藩平野家文書 一括

2020-12-22 07:04:20 | オークション

             旧家蔵出し【肥後国細川藩平野家文書 一括】熊本藩/武家文書/細川家臣/書状/覚書/手控/家譜/江戸時代古文書

                                     

  平野家は十六家があり判断が難しいが、「差紙」の冒頭部に「平野治部左衛門」とあることからすると、太郎左衛門を祖とする六家の一つ「平野 大家(南東53-13)500石」のものであろう。

 太郎左衛門を祖とする家は、他に「平野太郎四郎家(南東53-9)」「平野嘉門家(南東53-25)」「平野角蔵家(南東53-24)」「平野甚九郎家(南東53-20)」「平野宣太郎家(南東60-22 一代御中小姓)」などが枝葉を広げている。

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