日帳(寛永六年八月)十八日~廿一日
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| 十八日 奥村少兵衛
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三斎ノ中津侍中へ |一、中津衆へ 三斎様ゟ之御借銀帳壱冊、又御借米之運賃帳壱冊、中津御奉行衆ゟ持せ被差越候を、
ノ借銀帳幷借米ノ | 豊岡甚丞・粟野伝介ニ渡申候事、
運賃帳 |
| (作)
造作銀惣割苻ノ目 |一、造佐銀惣割苻ニ成申目録壱つ、右同前ニ参候を、中神與兵衛ニ渡申候也、
録 |
鉄櫓ノ下ノ門番病 |一、鉄矢蔵之下の御門番竹内與右衛門、昨日病死仕候由、相番又右衛門申候也、
死 |
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| 十九日 安東九兵衛
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|一、糸川長右衛門尉登城にて申候ハ、瀬戸内へ参、今朝罷帰候由ニ而、登城被仕候事、
中国ノ隼落シ所ノ |一、中国にて、御鷹師衆隼おとし申所之覚、書付可申と存候処、しかとしれ不申ニ付而、書つけす
覚書 | 候、重而所しり申度候旨、河井権丞ニ可相尋候間、権丞ニ能被存知候へと、申渡候也、
|一、泰勝院殿にて、明日ノ御法事ニ、御奉行所ニ御座候御茶遣し申候事、但、御茶道ハ岩正恵三ニ遣
| 候事、
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| (ママ)
| 廿日
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| (房勝) (同重政)
続房勝知行所ヘノ |一、続少右衛門登城にて被申候は、少御隙を被下候へかし、亀助知行所へ参度由、被申候間、御家老
賜暇願 | 衆へ其通被仰理候て、可有御越通、申渡候也、
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江戸詰ノ掃除坊主 |一、今日、江戸へ差遣申御掃除坊主五人、長斎・宗閑・玄徳・宗古、今一人は新参坊主成、此者とも
持下ル物ノ覚 | 持下候物之覚
| 一、我々共言上ノ状三つ、
| 一、金山ゟノ言上壱つ、
| 一、式ア少輔殿ゟ言上壱つ、
| (秀元)
| 一、毛利■甲斐守殿留守居衆丞之写壱つ
| 一、らんノ絵壱包、
| 右ノ分一つ文箱ニ入候也、
| 一、以策ゟノ返事ノ文箱壱つ、
| (蜂須賀家政)
| 一、蓬庵様ゟノ御返書ノ文箱壱つ、
| (阿片)
あひん | 一、あひん 大文箱ニ入、三百四拾三匁也、
| 一、其外、江戸御供衆への状共壱からげ、
野牛ノ塩漬糠漬日 | 一、野牛しほ漬、かす漬、ひニほしたるを三色差上候事、
干シ |
| 一、真下七兵衛やとゟ、七兵衛かたへ遣被申候かミ包壱つ也、
| (畑)
| 右長斎ニ相渡、遣申候也、
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| 廿一日 奥村少兵衛
| (河田)(矢野)
地震屋完工ス |一、野村孫兵衛申候は、今日まてニ御地震屋悉仕廻申候由申候、八右衛門・勘右衛門被申候は、罷帰
| 候而、甘候へ之由ニ付、罷帰由、申候也、