日帳(寛永六年八月)十日~十二日
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| 十日 奥村少兵衛
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|一、加来次郎兵衛、をや相煩候由にて、次郎兵衛登城不仕候事、
鉄炮足軽町人女房 |一、加々山権左衛門尉与御鉄炮衆清太夫と申もの、東小倉ノ久八と申ものゝ女房を一刀きり、其まゝ
ヲ斬リ春光寺へ走 | 腹
リコミ切腹ス | 春光寺へはしりこミ原を切申候、いかやうの子細にて女をきり、腹をきり候や、御町奉行ニ、せ
町奉行へ調査ヲ命 | 〃
ズ | んさく被仕候へと、申渡候事、
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| 十一日 安東九兵衛
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家老等談合ヲ求ム |一、御家老衆ゟ、御談合被成度儀候間、両人ともニ頼母殿へ参候也、
ニヨリ惣奉行有吉 |
英貴邸ニ赴ク | 法華
杉某ト法花坊主ト |一、杉藤兵衛と法花坊主との公事之儀、御家老衆被成御聞、被成御談合候事、
ノ公事 |
稲葉家中ヨリノ走 |一、うさ郡ノ彦四郎、稲葉殿御内ゟ走人案内者仕候ものをも、御誅伐ニ相究申候、其外手伝候ものニ
人ヲ案内セル者誅 | も過怠をかけ申筈ニ相究、書物ニ御家老衆裏書飛成、此方ニ請取置、万書物之段ニ入置申候也、
伐手伝シ者過怠 |
家老等裏判ノ書物 |
万書物ノ段ニ納ム |
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| 十二日 奥村少兵衛
| (煩脱ヵ)
菊野伊織病死ス |一、菊野伊織者両人罷下候、伊織儀江戸にてたんを相、七月十九日ニ相果申候、則伊織召仕候ものと
| も不残罷下候へとの 御意にて、罷下候由申候、修理・兵庫ニ被成下 御書箱壱つ持下候也、
| 伊織内
| 〇村上権右衛門・片山太兵衛登城ニ而申候也、
| (枌)
枌板五千石調ハズ |一、沢村大学殿ゟ、使者を以被申聞候ハ、当春曽木板五千石可有御買之由にて、我等も判形仕候、此
| 儀未調不申候由承候、如何様之子細にて調不申候哉、其後又御用と候て、当町に而も弐百束ノ
| (反故)
| 判形仕、かい申候、判形仕候儀を不調候ヘハ、はうぐに成申候間、かやう二無之様二候て尤二存
八拾立ノあまほう | 候、又八拾立之あまはうし、是もいまた調不申候之由承候、 殿様御下国ニ而も候ヘハ、頓而入
し 日向ノ材木 | 可申と存候間、北前へ飛脚を成とも遣し、急度相調候様ニ可仕候、又日向への材木ノ儀も調不申
| 候由承候、是をも飛脚を遣し、調候やうニ可仕由、被申聞候、此方ゟ申候ハ、五千石ノそきの儀も
上方枌ノ相場付 | 上方へ申上せ、寺嶋方ゟ双場付をも差下候、然とも不承合、即時調候ヘハ、御損立申儀も御座候
| 付、見合、かい下シ申筈ニ、寺嶋ゟ申越候、其後俄ニ御用ニ付而、爰元ニ而も如被仰、調申候、
| 又北前之あまはうしの儀も此中飛脚を遣し申候、又今日も、飛脚遣し被申候へと、松本彦進へも
| 申渡候間、定而はや可参と存候、日向へ之儀は未飛脚も遣し不申候、飛脚を遣し候へと思召候ハ
| ヽ、遣し可申由、御返事申候事、
御印帳 |一、大学殿へ御印帳判取ニ持せ遣候処、御留守ニ而候間、従是持せ可新之由、返事ニ而候事、