津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■ああ知らなかった・・古写真の有吉邸

2020-12-02 11:42:27 | 古写真

                       
                                         

  冨田紘一氏著の「古写真に探る‐熊本城と城下町‐」は、何度も目を通したはずなのに、説明文をよく読んでいなかった。
洋学校の教師であったジェーンズが持ち帰った写真の中に、二の丸から御城を望んだ三枚の写真がある。
その二枚目と三枚目をつないでみたのが上の写真だが、右端に有吉屋敷が写っていた。三卿家老有吉家の分家の上屋敷である。こちらも家老職を勤められた。
        ・大天守 ・小天守 ・宇土櫓 ・西大手門 ・奉行丸元太鼓櫓
この写真が撮影された時期は、熊本城は陸軍に接収されており、二の丸に在った時習館や重職の館などは解かれていることが判る。
そんな中で有吉屋敷のみがこうして残されていた。こんな貴重な写真の説明文を読んでいないとは誠に大うつけなことではある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川小倉藩(419)寛永六年・日帳(六月十九日~廿日)

2020-12-02 06:14:49 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年六月)十九日~廿日

         |       
         |     十九日  奥村少兵衛
         |
         |  (三斎側室、郡氏、松井興長室こほノ母)
松丸死去     |一、松丸様夜前丑之下刻被成御果候、就夫、江戸へ御注進可申上ため、御飛脚両人申付、差上申候、
江戸へ注進ス   |  小早之御電動は河村喜左衛門尉、御飛脚ハ西村文右衛門与林二郎左衛門尉・佐分利作左衛門与吉
         |                        (有吉英貴)(米田是季)
         |  田久太夫、右両人ニ、我々言上之文箱之内ニ、頼母殿・監物殿ゟ之言上壱つ、同前ニ入、持せ上
         |                                (木下延俊)
         |  申候、又我々ゟ江戸御奉行衆へ之状・式ア殿ゟ自徳院殿へ御状・右衛門殿ゟ自徳院殿へ之状、又
         |           (成定)  (坂崎) (坂崎成政)
         |  坂崎道雲ゟ一角・清左衛門方へ之状、一からけニして相渡、遣候事、
宇佐宮御田植神事 |一、宇佐ゟ、御田植之御神事成就之由ニ而、御洗米・御ミき上被申候、但、使者也、
ノ洗米神酒ヲ上グ |
鷹ノ餌犬ノ諸郡へ |一、御鷹之餌犬、今迄ハ諸郡のわり付悪敷候而、十五疋も十五疋も参つどい、又は犬数打候ヘハ、不足も
         |                       〃
ノ割付ヲ改定ス  |  在之ニ付而、重而まちがい不申様ニ、わりかへ申触候、其ひかへを山本二介をよひ、相渡候事、
         |            買   赤地ノ錦
京都ヨリ買入レノ |一、京都ゟ、宇佐ノ宮へ〇被下候きんらんの入たる箱、つゝミのまゝ壱つ幷寺嶋主馬水殿ゟ宮成掃宇佐宮ヘノ赤地錦 |               〃〃〃〃                                                            〃
大坂調物奉行ヨリ |  ア・到津主膳・小山田采女所へ被遣候状壱つ、又小倉や與四郎ゟ、右参人衆へノ状壱つ、慥請取
宇佐神主ヘノ書状 |  申候、持届、右参人衆に相渡可申候、             時枝昨左衛門(花押)
請取       |
塗師屋作兵衛へ注 |一、ぬしや作兵衛ニ、御さら廿のゑを被仰付候、出来仕由にて、持参申候、竹内八兵衛持せ被上候、
文ノ皿ノ絵出来  |  竹内駒助奉にて被 仰付ニ付而、切手なと判を可仕と存、罷あかり申由、被申候事、
松丸とりおき   |一、松之丸様今晩御とり置候事、

         |       
         |     廿日  加来二郎兵衛
         |
         |一、江戸ゟ、櫛野長三郎罷下候ニ、御小人ノ長兵衛と申もの付罷下候、江戸を今月壱日ニ罷立候由也、
忠利書状ノ覚   |  持下候 御書覚
         |  一、三斎様へ被進候御文箱壱つ、
         |  一、修理・兵庫ニ被下御文箱壱つ、
         |  一、三斎様江戸御屋敷衆ゟ貴田権内・高橋兵左衛門方への大文箱壱つ、
         |          +-一、御年寄衆三人へ被遣 御書壱つ、
         |  此四つハ我々へ |   (吉重)
         |  被下御文箱ノ内 | 一、沢村大学へ被遣   同壱つ、
         |  ニ入、被下候也 | 一、佐藤将監へ被遣   同壱つ、 
         |          +-一、御金山衆へ被遣   同壱つ、
         |  監物丞                       式ア内
         |一、式ア少輔 所へ成被下 御書、私請取申候、        牧半十郎(花押)
         |  頼母佐
         |                            大学内
         |一、大学所へ成被下 御書、私請取申候、          若林長兵衛(花押)
         |一、佐藤将監所へ成被遣 御書、私請取、則持参候、以上   黒木三太夫(花押)
         |一、御金山衆へ之 御書、堀江勘兵衛方へ兵庫ものニ持せ、遣候也、
江戸邸ニ小者召抱 |一、江戸ゟ御小者五人召抱、差下候へと、真下七兵衛奉ニ而被申越候、則小頭哉左衛門ニ抱候へと、
         |  申渡候也、
         |    矢野吉重
絵師矢野吉重下着 |一、絵師三郎兵衛、今朝下着仕由にて、登城仕候、大坂ゟ之状共持下候事、

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする