津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■永源師壇紀年録と忠興公譜

2020-12-03 16:22:01 | 展覧会

                                                                               
 ある方から「忠興公譜」の資料七点をお送りいただいた。

この手の資料は私にとっては初見であるように思う。以前細川家家譜・忠興公譜をご紹介したことが有るが、これとは内容を異にする。写真を見た限りではそう新しいものではなさそうである。
ふと「永源師壇紀年録」との関係はどうかと思い、久しぶりに本棚から取り出してみたが、関連性は伺えない。
内容は特段真新しいものは見えないように思えるが、読み下しをしようと考えている。

 さて「永源師壇紀年録」の刊本は現在では貴重品となっている。
しばらく古本をさがしたが見当たらなかったが、現況に於いても状況は変わらないようだ。
そしてこれが熊本県立図書館の蔵書にないということに、私は大いなる失望感を抱いている。
古本が見つかれば、購入して寄贈しようかとも思っているが、金欠病の私に、金を遣わせないようにとの思し召しかもしれない。

 綿考輯録の記事に於いてもここから引用したものは多いらしい。
レファレンス共同データベースを見てみると「永青文庫資料の綿考輯録と永源師檀紀年録との関係」についての問い合わせがあり、熊本大学付属図書館がこれに回答している。
    https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000256521

この刊本だけにしか窺えない記述もあって大変貴重な資料なのだが・・・

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■細川小倉藩(420)寛永六年・日帳(六月廿一日~廿三日)

2020-12-03 07:05:43 | 展覧会

                      日帳(寛永六年六月)廿一日~廿三日

         |       
         |     廿一日  安東九兵衛
         |
おばノ服忌伺   |一、瀧口伝丞登城にて被申候は、拙者おば相果申候、穢可有御座候か、如何可仕候哉、日々御天主な
         |  とにあかり申様二御座候へハ、拙者冥加のためにても御座候間、候得御意候由、被申候、談合
         |  申候而、重而従是可申候由、申候也、
大槻某ノ当番勤方 |一、右同人申候は、大槻仁右衛門をくの御番被仰付候処ニ、時ニより、御番を明申様なる儀共御座
不良ノ申告    |  候、御番被仰付候上は、たとひ、ひるハ其所ニ居相不申候共、夜ルの御番をかゞし申候儀は、不
         |  可然儀候と、内々仁右衛門二申候へとも、左様ニは不成由申候、か様ノ儀、私ゟ申上候事如何ニ
         |  御座候へ共、自然夜ル御番を明候刻、拙者一人として、御番を仕候而能事にて御座候共、又はあ
         |  しき儀にて御座候とも難弁御座候ニ付、兼而ゟ、各様立御耳由申候也、
土佐某借米ヲ返納 |一、土佐新太郎登城にて被申候は、私手前御借米不残才覚以、御蔵入仕候由被申候、御借方奉行ニ
ス        |  其通被申候へノ由、申渡候也、
牢人妻子ノ門出切 |一、村山安兵衛妻子御門出切手の儀、才津惣兵衛監物殿へ参、仕申候処ニ、いつもかやうの出入り在
手又ハ与頭ノナキ |  之、又ハ与頭無之様成仁ノ出切手ハ、御奉行衆ゟ切帋参候間、切帋を取可給由、被仰せ候ニ付、則
者ハ奉行ヨリ切紙 |  仕調、進之申候事、
ヲ得ベシ     |
誅伐人改ニ新牢ノ |一、御誅伐人相改候付、しちへや・新籠之諸切手取寄候を相改、籠之切手ハ高津甚左衛門ニ相渡、し
切手ハ高津某へ質 |  ちへやの切手ハ安野藤左衛門ニ相渡也、
部屋ノ切手ハ安野 |
某へ渡スニ改ム  |
         |                                          (加藤)
小々性知行ハ万事 |一、御小々性衆知行之儀、万事御蔵納並と被 仰出候、口米・庄屋給之儀、いかゝ可有之哉と新兵衛
御蔵納並ト令セラ |   (金子)  
ル     口米 |  ・喜左衛門被申聞候間、御蔵納並と被 仰付上ハ、御蔵納同然ニ可被仕通、申渡候也、
庄屋給も御蔵納並 |

         |       
         |     廿二日  奥村少兵衛
         |
         |           (田川郡)
惣積奉行香春ノ銭 |一、栗野伝介被申候ハ、香春ニ有之御銭、急度可被也御取寄候、今程爰元ニ而売申才覚も可有御座候間、
ヲ売ラントス   |  買手於有之は、うり可申由、被申候ニ付而、田川御郡奉行衆へ急度津出可被申付通、切紙遣候也、
         |                  (久間)           (内藤)
船頭ノ重病ニ当番 |一、鏡善右衛門登城にて被申候ハ、御船頭平兵衛煩、御医師宗印御薬ニ而、少検御座候様ニ相見え申
中ノ医師宗印ノ往 |  候、しかれとも大事之煩にて御座候、宗印も昨朝御見廻被成候迄にて御座候、今日も被成御見廻
診ヲ乞ウ     |  被下候様ニと申候へ共、今日ハ御番にて御座候間、御見廻被成儀成間敷候、御奉行衆へ其段申理
         |  候へ、左候は可有御見廻由、被仰候間、御番にて候へ共、御見廻候様ニ、被仰渡候而被下候へかし
         |  と申ニ付、御見廻候へと申遣候也、
松丸葬儀ニツキ町 |一、吉田縫殿・米田平右衛門」登城ニ而申候は、松之丸様御葬灵礼ノ日、共之者幷見物之女切手にて出
奉行等紋出入ノ切 |                            〃
手ノ捌方ヲ問ウ  |                                 (細川藤孝室、沼田光兼女)
光寿院ノ例三日間 |  シ候儀、切手之取さばき、何共難成可有御座候、如何可仕候や、前廉 光寿院殿御葬礼之時は、
切手ナシ     |  三日ハ切手なしニ御門出入仕候、此度茂、一日は切手なしニ御通日成可然御座候哉と被申候、一
家老ノ指示次第  |  段可然候、併、我々分別まてニ而、切手なしニ可被通との儀難申候間、頼母殿・監物殿へ両人と
         |  もニ被参、右ノ趣被得御意、御両人御差図次第ニ可被仕通、申渡候也、
         |                 佐分利作左衛門与森作右衛門
光尚台所ノ番人  |一、御六様御台所ニ被召置候御鉄炮衆桑原主殿与福嶋五兵衛也、追付差上せ申へく候間、早々用意仕
         |                 〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
         |  候へと、被申渡候へ之由、小頭岡権丞ニ申渡也、           (元明)
少峯送リ来ル人馬 |一、今日少峯幷送り候て被参候仁、少峯乗候而参候御馬とも賄可被仕之由、住江甚兵衛所へ申遣候也、
ノ賄       |

         |       
         |     廿三日  加来二郎兵衛
         |
         |          (猪膝、田川郡)
唐人少峯帰ル   |一、少峯経罷帰候ニ付、いのひさまて御馬にて送申候、又小荷駄弐疋申付候、いのひさにて、朝夕
ソノ賄銀駄賃   |  する廻候へと申付、河村加右衛門と申御鉄炮衆も一人付遣申候、いのひさゟ長崎迄之賄銀・たち
         |  ん銀ノため銀壱枚渡遣申候、人ハ付不申也、但、鉄斎煩為養生、態こくらの年寄共、少峯をよひ
         |  寄候由候間、長崎へ送可遣旨 三斎様 御諚旨、中津御奉行衆ゟ奉書参に付、如此候也、
         |                            (飢)
鉄炮小頭多数登城 |一、御鉄炮衆ノ小頭数多登城にて申候ハ、何も手前不罷成、礑及飽、のか/\敷躰弐御座候間、何と
シテ困窮故ニ借米 |  そ御談合を以、少宛御米を被借下候様ニと申候、兵庫殿、其外ノ衆ニも談合可申候由、申候而返
ヲ願ウ      |  し候事、

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